菫と、一杯のシャンパン

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 若干頬を強張らせながら、通話ボタンを押した。途端、耳に流れ込んできた声は、 「私、嵐くんと別れる」  と言った。  いきなりのことで、私の脳は理解が追いつかず、静止する。言葉が出ない。 「別れるから。私。嵐くんと」  反応をしない私に、南は再度、言い聞かせるようにひとつひとつ言葉を区切りながら、丁寧に発音した。  別れる。南と、嵐が。 「……どうして」 「だって、私以外の女の子からの留守電聴いて、そわそわして、電話しようか悩んで躊躇って、うだうだしてるの、まるではじめて恋してる男子中学生みたいで、なんか、見てて情けなくなっちゃって」  予定を合わせてふたりで出かけた休日のカフェやレストランで、仕事の愚痴や上司への不満などを粗雑な言い方で吐いてはテーブルに並べていく南のすがたが脳内に浮かんだ。  まるでおなじ、軽い調子で嵐のことまで吐き捨ててしまおうとしている。 「でもそうなんだよね、嵐くんって自分がすきになった子とちゃんとした恋愛した経験ゼロだから、恋愛初心者な男子中学生と変わんないんだよね。経験人数だけやたら多くて、肝心なところ成長してないんだから。ほんと呆れる。……だから菫ちゃん。嵐くん、もらってよ」  涙が出た。  それは静かに流れ出して、けれどすぐに嗚咽に変わり、南の知るところとなる。南が電話の向こうで嘆息するのがわかった。 「なんでさ、ふたりって、そうなの。他のひとが目に入らないくらい、がっちり両思いなのに、ふたりして何拗らせてるのかわかんないけど、何年かかってるわけ」 「私は、」 「菫ちゃん、ずっと嵐くんのこと、すきだったよね」  私の言葉を遮った南の科白は、やけに優しい響きに包まれていた。  優しくて、それでいて確信的な声が、耳殻から沁み入るように私の内がわに吸い込まれ、こころの真ん中まで届いた。  すきだった。  うん。そうだ。  私は嵐のことが。  すきだったのだ。  拳ひとつ分の距離を挟んで寄り添っていたあの頃、認められなかった、幼い恋心。  汚れず、くたびれず、なにひとつ変わらず、無垢で柔らかな、脆く繊細なまま、胸の奥底に仕舞いこまれた嵐への気持ち。
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