終章

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 嵐と過ごした夜から、数日後。  私は朔郎さんのマンションを訪れた。相変わらず忙しそうにしている彼の身の回りの、生活からこぼれ落ちた家事をひとつひとつ拾いあげ、片付ける。洗濯、ごみ出し、浴室と洗面所の掃除。  ひと段落ついたタイミングで珈琲を淹れようとキッチンに向かった。冬がはじまる前に購入したばかりの珈琲メーカーは豆を挽くところから全自動だ。  以前ふたりで出かけた折に専門店で買い求めた、朔郎さんお気に入りの珈琲豆をセットする。エチオピアから長い道のりをはるばるやってきた珈琲豆は東京の片隅のマンションの一室で、大手家電メーカーの最先端技術でもって一杯の珈琲としてマグカップに抽出される。  作業部屋の彼に声をかけると、私と珈琲の香りにほっとしたように表情を緩ませる。L字のデスクを挟んで向かい合い、互いに無言でエチオピア産の苦味と酸味を堪能していると、目があった。  彼は「どうかした?」と尋ねるように首を傾げる。 「あの。朔郎さん」 「はい」 「この前の、話なんだけど。本当にいいの? 私で」  子どもが望めない、それどころか性行為すらまともにこなせない私を、朔郎さんはありのまま受けいれてくれている。血のつながった孫の姿が見られないとしても、彼の母親も、息子の選択と私の事情を理解して受けとめている。  だから、ふたりに対して、ありがたさと申し訳なさが均等に胸の内を満たしている。  朔郎さんもその母も、私という余計な荷物をあえて背負う必要はどこにもないというのに。私は自分自身のことであるから逃れない、向き合うよりほかないけれど、朔郎さんはちがう。 「私は、子どもを授かれないし、あなたと愛し合うことも……」  私が子どもを産むのはおそらくは不可能だ。病院に行ったってどんな治療を試みたって、状況が好転することはなかった。私には子どもを授かる能力がないという事実は、結婚をしても、しなくても、一生変わらない。   同じ原発性無月経でも、治療を重ねて妊娠・出産するひとも少なからずいるらしい。不妊治療の末に子どもを授かる夫婦だって、今の世のなかには数多く存在している。実際、以前勤務していた会社の先輩にもいたくらいだ。  けれど、私にとって治療やその先にある妊娠と出産は、気が遠くなるほどに現実味がなく、到底無理なことのように思える話だった。
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