終章

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「セックスがしたくて一緒にいるわけでも、子どもがほしくて結婚するわけでもないんです」  と、朔郎さんは言った。 「菫ちゃんと、一生一緒にいたいだけなんです」  と。 「それじゃあ、だめですか?」  私は首を振った。 「だめじゃ、ない、です」 「あのときも、俺はきみに、同じようなことを言ったね」 「あのとき?」 「恋人になってほしいと伝えたときです」 「ああ」  名乗りあって以来、定期的に食事をしたり、どこかへ出かけたりしていた私たちの関係性が変わったのは、私が大学二年生、彼が大学四年生のときだ。  二十歳を超えてもやはり初潮が訪れなかった私は、男女の交際や結婚や、そういったものと自分はこれから先ずっと無縁で、死ぬまで無縁のまま生きていくのだろうとぼんやり考えていた。  他人と愛し合って結婚して、子どもを生み育て、家族と生活を慈しむ。  両親が当たり前におこなってきた営みをひとつも実現できないであろうということ、両親に孫を抱かせてやれないことが申し訳ない気がしながらも、結婚も出産も、できるにせよできないにせよ、学生の身分からすればあまりに遠い場所で起こる事柄で、かなしいとか寂しいとか思えるほどの実感は湧かなかった。  そんな頃だ。喫茶店でとりとめのない会話をして珈琲を飲んで、いつものように「じゃあまたいずれ会いましょう」と、手を振り合って別れる直前。朔郎さんが、真剣な顔で、付き合ってくれないかというようなことを口にした。  私は困った。  求愛自体は、想定外のことではない。なにしろ名前を呼び合ってたまにふたりきりで会う関係になったのは、朔郎さんの私への下心(と、彼は表現した)の結果なのだ。  朔郎さんのことはひとりの人間とすきだし、尊敬している。一緒に過ごしていて楽しいし、とても心地よい。けれど男女交際となれば、喫茶店で珈琲を飲みながら歓談して夕日が沈む前にお別れ、ではなくなるだろう。  悩んだ末に、正直に打ち明けて断ることにした。おそらく性行為はできないこと。生殖機能が不完全であること。  大学卒業を控えた彼は名のあるジュエリーブランドを抱える企業への就職が決まっていて、誰がどう見ても順風満帆な人生が待っていたのだ。私というやっかいな荷物を背負わせるわけにはいかない。
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