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孤独になればなるほど、誰かに触れずにはいられなかったこと。
そうするほどに汚れていく自分がいたこと。
「おかしかったんだ、あの頃は、ぜんぶが」
淡々とした口ぶりが、逆にこのうえなく痛々しく感じられた。
私は当時、嵐の抱えている事情をなにひとつ把握することなく、ただ、嵐が色狂いの女たらしになってしまったと嘆いていた。あんなに近くにいたのに。誰よりもいちばん、私が近くにいたはずなのに。
世間を拒絶するように誰にも心を開かずにいた嵐の苦しみや葛藤に、気づけたのは唯一、私だったはずなのに。
「どうして言ってくれなかったの。鈍い私は、なんにも気がつかなかった」
「言えるわけない。他の誰にも何と思われても、菫にだけは、知られたくなったから」
「嵐」
「菫」
嵐が私を呼ぶ。
「——ずっと変わらず、一緒にいよう」
私の匂いのする唇で、ささやく。
それは、まだ拳ひとつ分の距離を正しく弁えていた頃、たしかに互いが思っていたことで、言いたかったことで、今となって過去に置きざりにされた、ばかげた言葉だ。
「あの頃は本気で、こう言いたかったんだ」
ずっと変わらずにいられるわけなんてないのに。
私たちが一緒にいられるなんて、そんなわけが、なかったのに。
「うん。私も、そうだった」
まだ日の出前の時間にホテルを出た。明るい陽光の下をふたりで歩くのははばかられたから。薄明の青白い光が、高いビルとビルの合間から土曜日の朝のうす汚れた街に射しこんでいる。
「結婚するの? 朔郎さんと」
嵐が口にした私の恋人の名前は、まるで古くからの知人を呼ぶような気安さをまとっていた。私と朔郎さんのことは南からずっと聞かされていたようだから、会ったことはなくとも、嵐にとっても他人でもないのだろう。
「すると思う。決心が、ついたよ。嵐は? 南と、同棲するの?」
「俺、振られたから」
「そういえば、そうだったね」
同棲の話まで浮上していたふたりの関係を壊したのは私だ。ごめん、と形づくりそうになった口をぎゅっと固く閉ざした。謝罪の言葉なんて、嵐も、南も、求めてはいないだろう。
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