終章

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 いくらゆっくりと歩いても、進み続ける限り、終わりはやってくる。私たちの終着点は、地下鉄の駅のホームだった。嵐は社員寮のほうへ、私は自宅のほうへ。同じ路線の上りと下り、反対方向の電車に乗る。  ほとんど人気のない、休日の早朝の駅のホーム。その真ん中で静かに向かい合う。 「嵐。嵐」 「うん」 「寂しいよ。なんでこんなに寂しいんだろう」  嵐は答えるかわりに私の身体を掬うように抱きしめた。けれどすぐに、どちらかが乗らなければならない電車が、音を立ててホームに滑り込んでくる。 「さよならだね。菫」 「そうみたい。嵐、昔みたいに、『すう』って、呼んで。最後に一度だけでいいから」  嵐は首を振った。私たちはやっと、互いから巣立つときがやってきたのだ。      きっともう、ほんとうに、今度こそ二度と会わない。  しあわせであってほしい、と思う。  離れてしまっても。忘れられなくても。  私の前にしあわせの端糸が見えているように、嵐の生活にもしあわせの端糸はいたるところに存在していて、手を伸ばせばきっと、それを手に入れることは容易いのだ。だから、ちゃあんと手を伸ばしてほしい。  そう考えると同時に、しあわせってなんだろう、と、思う。 〈いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。〉  太宰の『人間失格』の一節を思い出す。  ひとを怖れ、ひとを求め、人生を彷徨い続けた葉蔵は、最後には薬漬けになり精神病院に収容される。  ——一切が過ぎていったら。  朔郎さんが言った言葉だ。  私の身体の他人との差異も、嵐が生きるために自分を汚していると感じていたことも、ぜんぶが。  小川のようにさらさらと流れていく。  すべて流れていって、すべて、「そんなこともあったね」と、笑い合えるくらいに些細なことになってしまったら。  例えば半世紀ほどが流れ過ぎて、生まれ育った街にお互い帰ってきて、道端で偶然に再会して、皺々になった手を取り合い、名前をそっと呼び合う。すぐに寿命は尽きてしまって、どこかでふたり、冷たい土の下に一緒に眠る。ずっと傍にいる。  恋ははじまらなくとも、永遠に、死にもしない。  そこまで想像して、打ち消すように首を振った。  ただ、ずっと変わらず一緒にいたかった。
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