終章

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 嵐がいればそれでよかった。菫がいればそれでよかった。他になんにもいらなかった。それだけだった私たちの望みには過去と現在はあっても、未来なんてない。どこまでいっても、ふたりで寄り添う未来なんて最初からありはしなかったのだ。  私が私で、嵐が嵐である限り。 ◆  名のあるジュエリーブランドのデザイナーとして昼もなく夜もなく働いていた朔郎さんが、職を辞するつもりなのだと打ち明けたのは、さらに数週間後。冬の残滓のような寒さに完全に別れを告げ、草木も街もひとも華やかに色づいた、春のはじめのこと。  退職理由は「母の店を継ごうと思っているんです」らしい。  彼の母親は小さなジュエリーショップを経営している。客の要望を丁寧に訊き一から商品を作りあげる、オーダーメイド中心のこじんまりとした店だ。 「それで、菫ちゃん。母の店の上の階にある喫茶店のオーナーがご高齢で、いずれは店を譲るひとを探しているみたいなんですが。いまの職場、来月末で終わりだったよね? もしよかったら、そこを手伝ってみませんか? それでいつか、菫ちゃんにその喫茶店を譲り受けてもらえると、大家としては安心なんだけど」  それは願ってもない誘いだった。いつまでも派遣社員ではいられない気がして、南のように転職のための資格の勉強でもしたほうが良いのではないか、どうしようかと正直悩んでいたところだ。  南はこの春、転職と引っ越しをする。  それになにより、朔郎さんがすぐ傍にいる、きっと彼が引継ぐジュエリーショップと同じような、こじんまりとした喫茶店。喫茶店という場所は単純にすきだ。深い珈琲の匂いが充満した、落ち着いた雰囲気の内装に、飾り気がなくどこか懐かしい甘味や軽食たち。 「私で良いのなら、ぜひ」  私は頷いた。  朔郎さんと寄り添い続ける未来が、たしかな色とかたちを形成していく。
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