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でも私は手を伸ばすかわりに仏頂面を作る。こういうとき、嵐が私に笑顔を向ければ向けるほど、私は嵐に対して、かたくなな態度をとろうと心に決めている。
「かのじょ、は?」
「かのじょ?」
「昼休みにできた、新しいかのじょ。桜の下の」
そこまで言われてやっと思いだしたかのように、ああ、あの子か。と、ひとりごちる嵐。
「忘れてた」
小動物のような彼女に、かすかに同情した。やっぱり嵐は、きっとあなたの名前も知らないよ。
「取りにもどらなくてもいいの?」
「面倒くさいからいいや。帰る。すうと」
すう、のところが、胸の奥の奥に滲んで、吸い込まれた。あとからやってきたというのに、いつの間にか先に靴を履いた嵐が、こちらへまっすぐに手を伸ばす。私が躊躇った動作を、嵐はひとつの迷いもなく実現してしまう。
「すう」
「嵐」
私はその手をとった。初夏だというのにそれはひんやりと冷たかった。
私たちは幼少の頃から互いをよく知る幼馴染である。私たちは幼稚園から現在にいたるまでの十余年間、いつ、どのときも、拳ひとつ分の距離で幼馴染として寄り添ってきた。
仲良くなったきっかけなんて今となってはおぼえていないけれど、きっとなにかで意気投合したのだろう。園庭の木に留まっていた薄緑色の虫に同じタイミングで興味をもったとか、お遊戯会のダンスをどうしても踊りたくなくて同じタイミングで練習をさぼったとか。
互いが互いを認識した瞬間からずっと、嵐は私によく似ていた。あるいは私が嵐によく似ている。
しかし幼馴染とは不思議な生きもので、気づいたら嵐はみるみる美しく、みるみる女たらしに成長していた。十七歳の彼は街を歩けば少なくないおんなたちが頬を染め振り返る美少年だが、実は、後輩から近所の大学生、クラスメイトの姉、学校の女教師、街で偶然出会っただけの人妻まで、幅広く関係をもってきたつわものである。
手すら触れない、プラトニックなままに終わった相手もいれば、幾度も濃密に抱き合った相手もいるらしい。らしい、というのは、私は嵐に直接そういった類の話を訊くことができないので、クラスのやたら情報通でやたら喋りたがりな女子が嬉々として話している内容を盗み聞きしたからである。
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