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菫と、一杯のシャンパン
はじめて出会ったとき、私が手にしていたのは太宰治の『人間失格』だったのだと、彼氏彼女と呼び合う関係に収まったあと、朔郎さんが教えてくれた。それは私が大学二年生、彼が大学四年生のときのことだった。
「制服をきた可愛らしい女子高生が、古書店の店先で『人間失格』のページを捲っていたから驚きました」
いたずらっぽく打ち明けた彼は、太宰の小説は長編も短編もほとんど読破しているほどの熱烈なファンである。タイトルは知っているけれど読んだことはない私がどんな話なのかと訊いてみると、
「世間を恐れ、人間を恐れる主人公が、けれども世間と人間に愛されたいと願う話だよ」
と、優しく下がった朔郎さんの目尻を見て、読んでみようと決意した。
朔郎さんの蔵書から借りて、大学の講義もアルバイトもない休日を使って読みきった。
一九四八年初出、その後数え切れないほど重版され、時代に合わせて異なる装丁に包まれた文庫本が書店に並んできた作品だ。何度も映像化もされているらしい。
私が生まれるずっと前に書かれた文章はところどころ馴染みのない表現が出てくるので、しっかり噛み砕いて理解することにかなりの時間を要して、結局、読み終えるのに丸一日かかってしまった。
古書店で買い求めたものなのだろうか、古くなり黄ばんだ文庫本を閉じ、酷使していた目を休ませるためにまぶたを下ろす。
朔郎さんが言っていたような話であるような気も、ないような気もした。それまでの人生で文学と呼べるものにほとんど触れてこなかった私には、並んだ文字自体の意味を解することができても、物語自体を完全にわかることはできなかったのだろう。
それでも。
人間失格。主人公の葉蔵のように狂人にならなくとも、私だって、見方によってはある意味、人間失格なのかもしれない。
朔郎さんがひとりで住まうマンションの一室を、私はしばしば訪ねる。
そこには部屋がふたつあって、ひとつは寝室、もうひとつは膨大な蔵書が仕舞われた書斎兼作業部屋だ。後者のほうにはL字のデスクと、壁一面を覆うほどのおおきな本棚が置かれている。本棚にはあるのは読書好きの彼が集めた本か、仕事に関する資料のいずれかだ。
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