菫と、一杯のシャンパン

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「朔郎さんとちゃんと話をしているの?」と事あるごとに訊いてくる。もちろん話とは結婚のことだ。曖昧に返事を濁すと、さらに何かを言おうとする母を父がなだめる、というのが近頃のお決まりの流れになっている。  何度か朔郎さんと会ったことのある両親は、彼のことをひどく気に入っている。家に遊びにきた朔郎さんが帰ったあとで、娘の恋人としては理想的な青年だ、というような表現で褒め称えたことも一度や二度ではない。  帰宅したとき、両親が毎週欠かさず見ているテレビのサスペンスドラマが放映中で、ふたりは仲良く並んで、壁掛けのテレビの前に置かれたソファで寛いでいた。  私が年齢を重ねていく分だけ、父も母も同じ速度で老いていく。でも、昔から変わらず仲が良く、何の問題も抱えていない、穏やかでしあわせそうな夫婦だ。 「おかえり、菫」  私を見つけてそう声をかけてくれる父と母を見ていると、朔郎さんとだったら、こんなふうになれるのかもしれないと思った。ただただ穏やかで、だたただ優しい日々を積み重ねながらゆっくりと老いてゆく、そんな夫婦に。家族に。  けれど、朔郎さんとの未来を描きながらも同時に、どうしても脳裏に浮かぶひとがいた。  正しくは、常に頭のなかにいる。  離れ離れになってからも棲み続けている、片時だって忘れたことはない。  美しい顔かたちを、「すう」と呼ぶ、胸の奥に滲んで吸い込まれるような、心地よい声を。  夜の散歩に出かけた。あの声に心臓を鷲掴みにされてどうしようもなくなってしまう瞬間が、会わなくなって数年経っても、ふいに訪れる。音もなくやってきて、胸の真ん中を捕らえて、忘れさせない、忘れることを許さない。  そんなとき、今日みたいに夜であれば、暑い日でも寒い日でも、雨の日でも風の日でも、散歩に出かける。ふたりで通った道を歩き、手を振り合って別れた丁字路を曲がり、歩いて十数分の、嵐の家に行ってみる。  古い一軒家だったが、嵐の大学進学を機に手放したらしく、いつの間にか更地になっていた。買い手もつかないのか長いこと売地の看板が出されたまま、忘れられ置き去りにされた土地だ。  なにもない空間、ぽっかりと空いた夜闇を前にして、まだ嵐の家が存在していたときのことを思い出す。
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