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行き場のない手で男の耳から顎のラインをなぞり、下唇に触れる。
うつくしい輪郭。うつくしい唇。
律は、うつくしい男だった。
目も鼻も口も額も、すべてが完璧なつくりとかたちで、完璧な位置におかれた顔。その完璧さに慣れるまで、私は彼の顔を見るたびに、神様の最高傑作かもしれない、と、新鮮な驚きと共に何度も考えた。
白い枕にさらりと落ちる黒髪。透明な肌。わずかに開いた唇の隙間から寝息が漏れた。
夢を見ているのだろうか。いったいどんな夢を。
彼を倣って目を閉じる。
そうしたら、ビフテキ定食のことが頭を過ぎった。律と食べたチキンの香草焼きではなく。屈託のない爽やかな笑顔。こんな凡庸でつまらない私に、少なからず好意を持ってくれているであろう、同い年の異性。
——彼氏さんに怒られちゃいます?
律に知られたら、と一瞬考えて、すぐに打ち消すように首を振った。
知られてはいけない。
どんな些細なことでも。たとえ勘違いでも。
律が見ていた私のスマートフォン。
見られて困るものなんて入ってないし、同性も異性も、スマートフォンで定期的に連絡を取り合うほど仲の良い相手なんていない。律と出会って、そんな人たちはみんな私のそばからいなくなった。みんな離れていって、律だけになった。
律はもちろん知っている。私に、友人も浮気相手も、仲の良い同僚も。なんにも、誰も、いないことを。
それでも、「念のため」に確認する。
自分のものである麻乃が、百パーセント、本当に自分だけのものであるかを確認するために。
そして、わざとそれを私の前で行うことによって、おまえはおれのものだと、わからせるために。
そんなことをしなくてももう随分前からすでに、麻乃の世界はすべて、律に支配されているのに。
私は自分で服を選ばない。化粧品も、髪型も、持ち物も、選ばない。
それらを選ぶのは律の役割で、私は律の選んだものを身につけるだけだ。
ファッション誌からそのまま出てきたような流行の服と靴。デパートで売られているきらきらしたコスメ。海外セレブが愛用しているのと同じブランドのバッグ、アクセサリー。月に一度、顎下で切りそろえられ、手入れされるダークブラウンの髪。三週間に一度磨かれ、つやつやに塗られる爪。
25歳、女性、正社員。きっと私が得ている年収の数倍におよぶ金をかけて、律は、私を使った人形遊びを楽しんでいる。
自分が手に入れた女を、髪の毛一本から爪の先数ミリに至るまで、すべて自分好みに整える作業を飽きもせずに続けている。
ほとんど病気だ。
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