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「それは厄介ですね」
「もちろん突っ走るにあたっては、誰かにぶん殴られる覚悟はしますよ。実際殴られたことはないですけど。あと、さすがに結婚してるひとは諦めますけど」
軽く笑うその様子を見ながら、ぞくりと悪寒がした。
私はまずいことをしているだろうか。
律は、ぶん殴ることは恐らくない。
でも。目前の彼が私へ向ける瞳の色を知ったら。
その奥の感情に気づいたら。
殴るよりもずっと酷い目にあうのは、彼だろうか。私だろうか。
ああ。でも。
私は赤羽さんとすごすのが愉しいという気持ちをどうしても否定できなかった。
男女の間に横たわるさまざまなものごとを抜きにして。友達ができたみたいで。
友達なんて、もう二度といらないって、ずっと思ってきたのに。
「とりあえず、飲みの件、前向きに検討をお願いしますね」
外回りの様子が想像できる営業スマイルと営業口調を披露して、
「じゃあ、俺、すいませんが先に戻ります。やらなきゃいけないこと、結構残ってて」
と、慌ただしく去っていくその背中を呆然と見詰めながら。
私は、とりあえず、彼が口をつけたキャラメルマキアートをどうしようかと逡巡することで現実から逃避した。白いカップの中身はまだ半分以上残っている。
でも、いくら席が離れていると言っても同じオフィス内で、彼が口付けたものを、なんにもなかったような顔をして飲み続けられる気がしなかった。
結局、散々悩んだ末に、思い切ってぐいっと一気飲みした。ぬるくなった甘ったるいシロップに、吐き気がした。
週末の朝は、いつもよりゆっくり起きる。否、起こされる。
「おはよう。あさちゃん」
しかもキスで起こされると、さすがにちょっとやりすぎではないかと思った。背景に薔薇の花園とか洋風の城とかが見えなくて安心した。いつもの部屋だ。
すっかり空の一番高いところの近くまで上がってしまっている太陽の光が、王子様の肩越しに眩しい。思わず眉根を歪ませた。
「いい天気だよ。午後、どこかでかけようか。とりあえず、ごはんの前にシャワー浴びてきたら」
と、タオル地のガウンを手渡される。
今日も今日とて裸の身体を、すばやくそれに包んだ。どこまでも冴えた空の下、大きな窓から太陽が見えると、夜を引き摺った裸の自分が無性に恥ずかしくなる。
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