105人が本棚に入れています
本棚に追加
しばらくその姿勢でいたときに、背後から声をかけられた。
驚いて、おおげさに肩が跳ねる。それを見て彼は声をあげて笑う。
「そんなびっくりしないでくださいよ。紅谷さん、おつかれさまです」
赤羽さんだ。彼は空いている私の隣の席の椅子を引いて腰掛ける。
「これどうぞ」と目の前に差し出されたのは、いつかのキャラメルマキアート。
「この前ひと口飲んじゃったので、お詫びに」
「……ありがとうございます」
素直に受け取った。疲れた目と頭が甘いものを欲するのには逆らえない。
受け取ったカップに口をつける私を、赤羽さんは隣のデスクに頬杖をついて眺めている。
「なにか、手伝えることありますか? ふたりでやった方が早く終わるでしょ」
「え、でも部署違いますし。手伝ってもらうわけには」
「いいじゃないですか。と言っても、なにしたらいいのか全然わからないので指示ください。あと専門的な仕事もできないのでそれは勘弁してください。で、残った仕事片付けて、」
言葉を一度区切り、にやりと口角をあげる。
「終わったら、食事にいきませんか」
私は思わず嘆息した。
「もしかして、そっちが主目的ですか」
「ばれました?」
「赤羽さんって物好きですね。どうしてわたしなんか、」
「俺から見たらものすごく魅力的ですけど。なんでそんな自分を卑下して、周りと距離をとろうとするのか。正直、理解ができません」
キーボードを叩く手がとまる。
「まるで、なにか暴かれたくないことでもあるみたいに。自分の秘密に誰も近づけたくないみたいに。……なにか、知られたら困ることでもあるんですか」
——目敏いひとは、厄介だ。
「さて、こんなこと話してないでさっさと終わらせちゃいましょう。そして、焼肉つつきながら俺が紅谷さんの魅力、一から教えてあげますよ」
「焼肉なんですね」
「肉、きらいですか?」
「いえ。すきです」
「ですよね。あ、ビフテキ定食美味しかったですよね。あれもまた今度いきましょうよ」
その後もだらだらと喋りつつも、手は動かして作業を続けた。彼が手伝ってくれたおかげか、あるいは焼肉という約束が無意識に影響したのか。驚くほどスムーズに仕事は進んで、終電までまだ余裕がある、焼肉をゆっくりつついてもちゃんと家に辿り着ける時間にすべての作業が完了した。
最初のコメントを投稿しよう!