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凍えるような瞳に射竦められると、隣の彼のことを窺う余裕なんて、私にはない。
でも律は余裕綽綽に、一歩踏み出して赤羽さんと対峙する。冷たい瞳のまま、口許だけで微笑する。
「どうも。麻乃がお世話になっています。麻乃の婚約者の鴇田です。すみません、こんな遅い時間まで一緒に残ってくださってたんですよね。お優しい方ですね」
律の美しさは、怜悧になると途端に威圧感を増す。赤羽さんが若干、たじろいだのがわかった。
「ああ、いえ……こちらこそ、麻乃さんにはよくしていただいています。第一営業部の赤羽と申します」
「赤羽さん……」
その名を脳に刻み込むように呟く律。私は硬く目を瞑る。やめて。ちがう。
閉じた世界に赤羽さんの声が届いて、それは救いのようで、絶望のようで。
「あの、麻乃さんのこと心配なのはわかりますけど、さすがに、部外者のあなたがオフィスまで入ってくるのはまずくないですか」
「ああ。そうですよね。それに関しては、すみませんが見逃していただけますか。もう帰るので」
それで会話が終わればよかった。
律に連れられて私は帰宅する、赤羽さんはそれをなにも言わず見送る、それならよかった。
けれど赤羽さんは、そうしてはくれなかった。
「実は俺たち、これから夕食を食べに行こうかって話してたんです。なにも食べてないから、すごい腹減ってて」
心臓がぎゅうっと縮み上がっていく心地がした。
律は私を一瞥する。私は俯いて目を閉じたままだけれど、じっとりとした視線を感じて、いっそうきつく目蓋を閉ざして、それに気づかないふりをする。
律がひそやかに笑う音がした。
「……そうでしたか。それは失礼しました。僕もぜひご一緒したいんですが、あいにく、夕食は済ませてしまったもので。よろしければ二人で行ってきてください」
「いいんですか?」
「本人がその気なら。僕には止められませんから」
と。穏やかな声で言い捨てて、踵を返す律を、その上着の裾を掴んだ。
「待って。一緒に帰る」
刹那。律は、私にしか見えない角度で口角をあげた。
手が震えた。
「ごめんなさい。赤羽さん。今日は手伝っていただいてありがとうございました。もう、他部署のあなたにお手を煩わせることがないように、自分の働き方、時間の使い方を見直します。本当にありがとうございました」
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