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隣の彼に対し、ひと息でそう言って頭を下げる。
そして律の腕を掴み、「帰ろう」と引っ張ってエレベーターホールへ向かう。できるだけはやく、その場から立ち去りたかった。
「車で来たの? どこに停めてる?」
「向かいのビルの地下駐車場」
「そう。ありがとう、迎えにきてくれて」
「どういたしまして」
オフィスを出てエレベーターにのった私たちを追いかけて、赤羽さんが走ってくる。
「待って、話が、」
拒絶するようにエレベーターの扉がしまり、私は赤羽さんのいる世界か切り離された。
そして、律とふたりきりの世界で墜落していく。34階から1階までの、長い長いエレベーター。
私たちは互いに何も話さなかった。どこかで停止して人が乗り込んでくることを期待した。そうすれば、この、気が遠くなりそうな、息が詰まりそうなこの空気は幾分変わるはず。
律は、とても苛立っている。空気だけで伝わってくる。
一生続くかと思うような、このエレベーターに乗っていて一番長く感じた時間だった。
地下駐車場。車の中。律が運転席、私が助手席。車内はしんと冷えていた。
私は、冷える身体を抱くように両の二の腕に逆の手をまわし、そっと息を殺した。
沈黙。
長い長い沈黙のあと、律が溜め息を吐いた。
「先に言っておくけど、おれは、麻乃のこと信じてるよ」
私の手首を掴む彼の手。抗えない強さ。冷たさ。私の手は彼の膝に置かれる。
「信じてるけど。あんな男と一緒にいるなんて、知らなかったから驚いた」
「ふたりだったのは、偶然で」
「あの男になに言われたの。なにされたの」
「なにも言われてないし、されてない。ただの同僚」
必死で言い募る私に、何を感じたのか。
「ふうん」
彼はそれ以上、私の話を聞く気はないようだった。
「どうでもいいよ。頭の良い麻乃が、もう二度と同じことはしないって、信じてるよ。でも、」
膝に置かれた手はさらに動かされる。足の付け根から、さらに内側へ。
「罰は、必要だよね」
それは快楽を得るための行為ではなかった。
だから、いつも彼がベッドのなかで漏らす甘いため息や蕩けたような囁きはなかった。でもたしかに、男は興奮していた。
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