20歳

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20歳

 大学からの帰り道。乗り換えの駅で両親のすきな焼き菓子店を通りがかり、マドレーヌの詰め合わせを買った。  父と母が身を寄せ合って笑う仲睦まじい姿を心に浮かべる。この数年、母がずっと体調を崩しており、入院しては退院し、自宅療養してはまた入院して、という生活を繰り返している。最近は特に悪化しているようだった。現在も、自宅からほど近い総合病院に入院している。  父と週末に見舞う約束をしているから、そのときに家族で食べられたらいい。病院は消毒液の匂いや病から出る臭気がうっすらと立ち込めていて、けっしてすきな場所ではないけれど、個室にひとりで過ごす母を思えば、はやく週末になってほしいと願った。リボンがかけられた可愛らしい箱を紙袋の中で揺らしながら歩く。  夕暮れ。といっても、もうすぐ冬至を迎える冬の今、午後5時前には辺りがすっかり暗くなる。  最寄り駅から、飲食店やブティックが並ぶ大通りを抜け、角を曲がり、一軒家が両脇にひしめく細い道を歩き、ほどなくすると自宅が見えてくる。一階に、やわらかな橙色の明かりが灯っているのが見えた。  計算された緑が家々を区切る、雑然としたものがなにもない、秩序正しく整えられた閑静な住宅街。その一角を構成する、庭付き2階建の一軒家。私が高校生になったと同時に引っ越して、それからずっとこの家で暮らしている。  専業主婦だった母が入退院を繰り返すようになり、弁護士の父は仕事が殺人的に忙しい。学生の私だけでは家事の手が回らず、週に二度ほど、家政婦に来てもらっている。  父は、自らが忙しいせいで何かとひとりで過ごす羽目になってしまう私を気遣って、家政婦に、娘と一緒に夕食をとるように指示していた。私は別にひとりでの食事でもいっこうに構わないけれど、父のその気持ちが嬉しく、素直に受け入れていた。  家政婦の朱音さん——名前ではなく苗字が、朱音さん、である——は、母より少し年上なくらいの中年女性で、その年代の女性の例に違わず、面倒見がよく、世話焼きで話好きだ。  今日も、朱音さんが待ってくれているのだろう。いつも挨拶のときにワントーン上がる家政婦の声を耳の内側で再生させながら、玄関の扉を開ける。  と、出迎えたのは家政婦ではなく、見知った男の子。  律だった。  勝手知ったるといった雰囲気で、「おかえり」と迎えてくれる。  じゃれつくように抱きしめられ、頬にキスを落とされ、なんだか、飼い主の帰りを待って飛びついてくる犬のようだと思った。
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