20歳

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 冬の冷たく澄んだ空気をまとった身体が、律に包まれて自然と弛緩する。  律は、7歳から18歳までずっと海外に住んでいたので、こういう日本人離れしたスキンシップが多かった。  最初はとても驚いて、恥ずかしいからやめてとも言った。けれど、そうしたらうつくしい瞳の色が翳り、捨てられた子犬のように哀しげになったから、「やっぱり大丈夫、恥ずかしくなんてないよ」と慌てて言い直すしかなかった。  彼の立場からすれば、今まで自分が生きてきた世界の、息を吸うように当たり前だった習慣を、恥ずかしいと他人に否定されるのはたしかに哀しいことだろう、と私は自分の軽はずみな発言を反省した。 「でもみんな驚いちゃうから、朱音さんとか、はじめて会うひととかには、あんまりやらないほうがいいよ」  律が帰国したばかりの頃、そう注意したら、 「じゃあ、あさちゃんだけにするね」  と幼い少年のように無邪気に微笑んだのが懐かしい。  その言葉を、再会して2年が経過した今、彼が守っているのかどうかは私の知るところにはない。  けれど、抱きしめられるたびにふわりとただよう首筋の清潔な香りが、あまりいろんなひとに嗅がれてほしくないとは思った。なんとなく。  ただ——彼が住んでいたイギリスは、ハグやキスを積極的におこなう習慣のある国ではないと、最近、テレビで見たことが気になっていた。軽率に私にハグとキスをしてくる律の姿に、西欧の国々はどこも等しくスキンシップが積極的なのだ、と勝手に解釈していた。いずれにしても、私は実際に行ったことがないから本当のところはわからないけれど。  私を抱きしめて頬にキスして、そのままくっついてくる律とともに、羽織っていたコートを脱ぎながらリビングダイニングに向かえば、朱音さんがテーブルに皿を並べているところだった。真ん中には卓上コンロが置かれている。 「おかえりなさいませ、麻乃さん。あら、なにを買ってきたんです?」  朱音さんは一瞬手をとめ、腰をのばし、目敏くも私の右手に下げられた紙袋に気づいて訊ねる。 「マドレーヌ。母のお見舞いに持っていこうかと思って。朱音さん、ひとつ食べませんか? 箱詰めしてもらったのとは別に、3個買ったんです。朱音さんと、律にも、って」 「ありがとうございます。その店のマドレーヌ、私、だいすきなんです。たしか、奥さまと旦那さまもそうでしたものね。夕食のあとでいただきましょう」  と、歌うように言いながら、最後の仕上げがあるとキッチンに戻る朱音さん。  その後ろ姿を横目に、私と律はテーブルにつく。隣に座る律の膝が、私の膝に触れたり、触れなかったりしながら、夕食を待つ。
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