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私と彼は誰の目にも、無害で善良で健康的な恋人同士に映っていたはずだった。だからこそ、そのイメージを根本から覆す噂は、刺激的で面白かったのかもしれない。
私が柿谷くんと交際しながら、別の男と肉体関係を持ち続けていること。そのくせ柿谷くんには清純ぶって、けっして身体を許さないこと。浮気相手は金持ちの子息であること。
ここまでは事実だ。
けれど伝言ゲームのように耳から耳に伝えられるうちに、複数の男と同時進行で関係しているのだとか、誰とでもすぐ寝る女だとか、男に貢がせているだとか、いや貢がせているのではなく金持ちの老人相手に売春しているのだとか、中学校と高校の卒業アルバムで顔が違うから整形だとか、もはや呆れるしかないほどに何重にも尾鰭がつき、私のところに戻ってきたときには原型を留めていなかった。
私は急にひとりぼっちになった。
あの、居心地のよかった緩いつながりの友人グループも。もちろん恋人も。みんないなくなった。
柿谷くんは噂が広まってから大学に来られなくなった。
そのことがよりいっそう、噂の事実関係を強固に表していると、誰もが考えた。同時に、なぜ被害者は大学に来られないのに、加害者はのうのうと講義を受けているのかと非難された。
「麻乃って、びっくりするぐらい面の皮が厚いね」
いったいどこから話を仕入れてきたのか。大学での私の惨憺たる状況を、律が嘲笑する。どこまでも甘い声で。
私の足首にはアンクレットが巻かれている。
足枷のようだ、と思った。そしてふと、ある考えが頭を過ぎる。
——あの噂の出処は、もしかして律なの?
こっそりと学内に侵入し、適当な学生に噂話として聞かせる。それだけで終わる。それだけで、麻乃は恋人も友人も全部失う。なんて手軽なうえに効果絶大な作業だろう。
何もかも失った麻乃は、すんなりと律の所有物になる。
私が気づいたことに、律も気づいた。
私は彼を恐れ、彼は私を慈しんだ。
「約束どおり、恋人になってくれるよね? 麻乃」
私は泣きたい気持ちになった。
ふたりの関係性がどうしようもなく歪んでしまったこと、歪んで、歪んで、修正が不可能なほど捻じ曲がって、一周回って果たされた拙い約束と、幼い律と、幼い麻乃を思って、途方にくれた。
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