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そう言うと、律は私の左手をとる。指輪を躊躇いなく箱から取り出し、私の薬指に嵌めていく。完璧なサイズ感で、するりと指の節を通り抜け、指の根本までおさまってしまう、そのあっけなさ。
塞がれた左手の薬指を、満足そうにうっとりと眺めては、彼はそこに口付けをした。
都会の夜景を我がものにしたような高層レストランという舞台も、宝石の王様と謳われる最高級の指輪という小道具も、まあたらしいドレスという衣装も。私を愛するうつくしい男も。すべてがしらじらしい。
「この指輪。胡桃沢さんにお願いしている指輪ができあがるまででいいから。そのあとは捨ててもいいから、とりあえずしておいて」
「……捨てないよ」
私にかろうじて答えられたのはそれだけだった。律にとってはどんな高級な指輪も、整えられた舞台も、麻乃を縛るための、いくらでも代えのきく装置でしかないのだと、わかっていはいても。
あの日。律の機嫌をそこねなかったら、先に作っていたオーダメイドの結婚指輪だけで済ませるつもりだったのかもしれない。
「婚約指輪と結婚指輪ってなにがどう違うのかわからないよね」という話をしたのは、まだ律とこんな関係になる前。たぶん、数え切れないほどさまざまな話をした、つまらない映画鑑賞の最中。
それぞれの役割の違いも知らない私たちは、その場でスマートフォンのインターネット検索をかけて、けれど結果としてやっぱり、婚約指輪は正直意味を感じないよねと笑い飛ばしたのだ。
「意味を感じない」と先に明確に口に出したのはおそらく私だけれど、さすがに律も、そうやって笑いあった記憶のあるものを贈る気にはならなかったのだろう。
私が心の底では嫌がっているのをわかっていて、今さら、こんなことをやっているのだ。
高級な贈りもの、施されること、それらが私を雁字搦めにしていく鎖のひとつひとつであることを、律はわかっている。
私が喜ぶから、着飾らせ、外見を磨かせるのではない。私が私を失っていくから、着飾らせ、磨かせるのだ。自分を失い、周囲からの孤立を深め、それでも私は律を拒めないことを、律はよくわかっている。
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