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「同い年だし社歴は上だし、俺に対して敬語使わなくていいですよ」
「いやそんなわけには。会社への貢献度で言ったらすでに負けてますし」
タメ口なんて恐れ多い、と首を振る。赤羽さんは、さも面白いことがあったかのように、明るい声で笑う。
「紅谷さんて、変わってますね」
それが、悪い意味でないことはわかった。
向かいの席の女性社員や、大学の同級生に言われたことのある言葉。自分の理解が及ばない存在に対して、その価値を下げるために使う言葉。
同じ言葉なのに、赤羽さんに言われると、けっして悪い気はしなかった。
「俺、前職アパレルなんでちょっと目敏いんですけど、紅谷さん、めっちゃセンス良いですよね。ファッション誌から出てきたみたいな感じで、いつもキマってて。華やかで。お綺麗ですし。なのに仕事は落ち着いて真面目で、なんか、ギャップあるっていうか。そういうところ、いいなーって思ってます」
とてもさりげなく言われた、好意ともとれる言葉。
どういう意図で発せられた言葉なのかわからないから、私は前半部分にだけ反応する。
「逆です。センスがまるでないので、お洋服とか、いつもマネキン買いなんです。それ以前にあんまり、自分で選ぶこともないんですけど」
「え?」
余計なことを言ってしまった、と一拍遅れて気づき、「そういえば、」と話題を変えた。
「この近くに、ランチがすごくお得な定食屋さんがあって、ビフテキが看板メニューなんですけど、もう行かれました?」
「えー、ほんとですか、まだ行ったことないです。なんて店?」
店名をスマートフォンで検索して、最初に出てきたサイトに載っていた看板の写真と、地図を見せる。小さな画面を彼が覗きこみ、その瞬間、整髪料の匂いがぐっと近くなる。
「へえ、こんなところに。行ってみよう」
「ぜひぜひ。おすすめです」
「一緒にいかがですか?」
「え、」
「紅谷さん、いつも一人で気づいたら昼休憩いなくなっちゃうじゃないですか。ランチ、たまには一緒にどうです?」
「それは……」
「だめですか? 男とふたりだと彼氏さんに怒られちゃいます?」
冗談で言っているとわかるのに、私の心臓は大げさな音を立てる。
「そんなことは……ないんですけど……」
「じゃあ、今日の昼。いきましょう」
彼の言葉と瞳には引力があって、自分への絶対的な自信と、断られるはずがないという絶対的な確信があって、それらは抗いがたい強さで、私の思考を絡めとった。きっと今まで、こうやって誘って、ノーと言われた経験のない人種なのだ。
私だって、頷くしかなかった。
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