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鼻腔を刺激する美味しい匂いで目が覚めた。じっくりと野菜を煮込んだ飴色のコンソメスープと、香ばしく焼いた肉の匂い。
瞼を開けると、すぐ側に男がいた。L字のソファの直角部分に頭を置き、横の辺いっぱいに手足を伸ばした私の、頭のうえ、つまり縦の辺に腰掛けて、長い足を持て余すようにゆったりと組んでいる。帰宅してしばらく経つのか、朝に見たスーツではなくゆったりとしたスウェットを着ていて、いかにもくつろいでいる、その手元にはスマートフォン。
それも、私の。
慣れた手つきで操作して、しばらく弄んだら満足したのか、ローテーブルに放った。
そして、一部始終を見ていた私に顔を向ける。
胸焼けしそうなほど甘い、甘ったるい、とろけるような笑顔を。
「おかえり。あさちゃん」
「……ただいま。律も、おかえり」
「ただいま。夕飯、勝手に作ったけど良かった?」
「ありがとう。ごめんね、作らせちゃって。すごくいい匂い」
「材料的にこれかなって、蛸のカルパッチョと、ポトフと、チキンの香草焼き」
「正解。さすが律」
「ほんと? やった。疲れてるなら、まだ横になってていいよ。焼き上がるのにもう少し、かかるから」
「ううん。起きる」
身体を起こして、ひと伸びする。動いた拍子に、ハリのある生地のスカートがかさりと音を立てる。今日おろしたばかりのスカートにはすっかり大きなシワができていた。
オフィスカジュアルとよぶには鮮やかすぎる、濃いピンクとパープルの間の色の、ミモレ丈のフレアスカート。
「その色、似合うね」
彼は自分の選択に間違いなかったと納得するように目を細める。
「うん。センスいいねって、同僚に褒められたよ」
「それはあさちゃんがかわいいから、当たり前だね」
言いながら身体を寄せ、言い終えると口付ける。
料理を作りながら一人で飲んでいたのか、ウイスキーのほのかな香りがした。唇と唇が触れあい、開かれ、湿った吐息が、寝起きの乾いた口内に広がる。
「お酒、のんだ?」
「ばれちゃった? 良いのもらったから、料理しながら、味見に」
また口付けてくる。今度は舌を絡めて、自分の唾液に溶けたウイスキーを私の喉奥に流し込み、それを味見させるように。でも、味なんてわからない。酒の味自体が私にはそもそも理解できないし、律の唾液は律の味しかしない。
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