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追走
時間は少し遡る。
美海が女の子を介抱しはじめた頃に、人の隙間をすり抜けて様子を眺める制服姿の男子が二人いた。
「何かあったんか、んんー?あれは天使ちゃん?うっわ!女の子鼻血出しとうやん!もしかして天使ちゃんのコート赤い点々って血か?」
「あー……そうかもな。ウェットティッシュあるか?あったあった」
すらりと背の高い、黒髪黒眼鏡の涼やかな雰囲気の男子が通学カバンの中からウェットティッシュの袋を取り出だす。
「貸せ!」
「お?」
すると横でその動きを見ていた茶髪の男子がすかさず奪い取り、駆けだした。
「やるねえ~。お前のそういうトコ好きだわ」
苦笑いを浮かべ、大げさに肩を竦めた眼鏡男子、城ケ崎は他に使えるものはないかとカバンを覗き込んだ。
「城ケ崎!城ケ崎!俺の愛を届けてきたぜ!」
「お、早かったな……吉川、何お前顔真っ赤にしてんの?」
「天使ちゃん、近くで見たらヤバいくらいめっちゃ可愛くってビビったわ!」
「はあ」
「これが運命の始まりかも!」
「……何で?」
「だってティッシュ渡す時に指と指が触れ合ったんだぜ!」
「頼む。同類だと思われるからあっち行ってくれ」
興奮してまくし立てる吉川を自分のカバンで押しやり、城ケ崎は周りを見渡した。近くにいたビジネスマンや学生が噴き出しているのを見て、またしても肩を竦める。
「俺も今度天使ちゃんの目の前ですっ転んでみよっかな……そこから純愛感動ストーリーが始まったりしてさ!」
「不謹慎だな、やめとけ。それにカバンの横のめちゃめちゃ気合いの入った袋見てから言えよ」
よこしまな事を言い始めた吉川に忠告をする城ケ崎の横へ、美海と同じ制服の男子が一人並んだ。
(あれは……堀さん?どうしたんだろ)
首を傾げつつ状況を確認する男子は、美海の姿を見つけて驚く。
(小さな女の子を抱えてる?人助けかな、堀さんらしい。僕にできる事があれば)
気づかわしげに足を踏み出そうとするが、違う制服の男子二人から聞こえてきた会話の内容に立ち止まった。
「天使ちゃんの袋?あれはまさかバレンタインのチョコ!しかもオーラがやべえ……くっそ羨ましい。いや、あれは俺に渡すヤツだ!来たら即答しちゃる!大事にするから、ってハグしたる!頼れる俺がな!」
「妄想がマジウザキモいわ。通報していいか?」
「今日、恋が始まんだよ!」
(本命、チョコ……)
カバンの脇に置いてある可愛らしい包みを眺めて唇を噛んだ。
そして、思う。
●
あのチョコを誰に渡すんだろう。
太陽のような眩しい笑顔。
何にでも一生懸命頑張る真っ直ぐさ。
そして困っている人を見過ごせない優しい人。
そんな堀さんの好きな人に今日、あのチョコが……。
●
青ざめた顔で俯く男子の耳に、美海の必死の声が届く。
『駅員さん、こっちです!この女の子が扉にぶつかって鼻血を出してっ!』
『そうですか!……大丈夫かな?びっくりしたよね、痛かったよね。ちゃんと鼻血が止まるまで駅の事務室で休むといいよ。学校の先生とご家族に連絡してあげるからね』
こくり、と頷いた女の子は美海の方へと振り返る。美海はホームの床の鼻血をそっとタオルで拭いていた。女の子は駅員に訴えかけた。
『あのお姉ちゃんは?』
『ん?ああ、そうだね。私達も少し事情を聞きたいし。お客様、この子につきそってもらう事はできますか?』
不安げに見あげてくる女の子に、美海は自分の胸をポン、と叩いて笑いかけた。
『先生が来るまでお姉ちゃんが一緒にいるよ、心配しないでね』
『ほんと?』
『ほんとだよ!』
『あ、あの……お客様も華に詰め物をされていますが、もしかしてお客様もお怪我を?』
『いえ!お揃いですけど私は大丈夫です!ねー』
『ねー!』
すっかり元気を取り戻した女の子と顔を見合わせ、いひひ、と笑顔を溢した美海に人ごみから安堵のため息が漏れる。
●
「……やばいな。普通ミニタオルで床の汚れを拭くか?女の子が気にしないようにしたのか無意識なのか知らんけど。俺も天使ちゃん親衛隊に入りたく……ん?何だ?」
「ふっざけんなリア充!お前なんか、もげ爆……あん?」
ホームの柱に寄りかかるように置いてあったカバンと袋に気づいた見守り隊の女性が、美海の持ち物だろうと目星をつけて歩み寄ったその目の前で、人ごみからするりと抜け出た若い男が袋を掴み上げた。美海は駅員と女の子に集中している為に気付いていない。
「あの野郎、まさか!おい、吉川!」
「堂々とギッてんじゃねえよ、逃がすか!」
そのまま、足早に去っていく男を追走しようと駆けだした城ケ崎と吉川を、制服姿の男子が抜き去った。
「返して下さい!」
そこには、人ごみをかき分けながら逃げる男と同じように追走する遠峰浩太の姿があった。
「俺らも行くぞ!」
「くっそ!俺のチョコに何しやがる!」
「違うだろ!っく!足速ええなあの二人!」
「天使ちゃんは俺のモンだああ!」
「もう嫌!」
●
「え?あれ?……え?」
何が起きたかわからずにポカンとする美海と女の子の傍で、慌ただしく動き始めた駅員たち。
逃げ出した男と追いかける男子三人と、追いかける見守り隊の体力自慢の面々。
朝の駅で、追走劇が幕を開けた。
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