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恋の神様
「ただいま~……」
玄関を開けた美海の声に、香月がエプロンで手を拭きながらパタパタと駆け寄る。
「お!お帰り!どうだった!作戦、うまくいったか!今日は『好き』と『すき』を掛けて、景気づけにすき焼きだ!……ん?元気ないな」
ほんの一瞬、ほろ苦い笑いを浮かべた美海に香月は首を傾げる。
「何かあったんかい?」
「えへへ……チョコ、今日は入れられなかったや」
「あーらら。ま、そんな顔しないで、気を落とさずに明日明日!それにさ、思い通りにいかないから人生は楽しいんだぜ?ほらほら!まずは手を洗って来い来い♪」
からりとした笑顔で、美優の腰をペシペシと触って促す香月。
(そっか、そうだよね。きっと顔にも態度にも出ちゃう。そんなの絶対だめだよね)
「……うん!ありがとうお母さん!」
「よっし、いい顔だ!恋の神様だって手助けてくれるさ、きっとな」
にっこりと笑った美海に、香月は満足そうに、だはは!と笑った。
●
食事の後、美海はテーブルを挟んで父親の遥人に昼間の出来事を話した。
「そんな事をする男の子達がいるんだね」
美海とテーブルを挟んで、ウイスキーの水割りを片手に顔をしかめる遥人は、黒縁眼鏡の奥の優しげな瞳を軽く顰める。
「本当にびっくりしたの。しかも見た事がある人だった」
「うーん、自分達が貰えないって決めつけてるにしてもノリでやったにしても、決して褒められない行動だね」
「うん……私がもし男子だったとしても、知らない間に下駄箱開けられてたらイヤだなあ」
しょんぼりと顔を曇らせる美海に、心の中で『うちの美海にこんな顔をさせやがって!』と見知らぬ男子達にひっそりと遥人は怒りを燃やす。香月同様、立派な親馬鹿なのは変わらないのである。
と、そこで二人分の酒の肴と、美海用の温かい飲み物を手にした香月がやってきた。
「うちの旦那様がお怒りか。ま、怒るなよ。どーどー」
「むむ、でもさあ……」
そういって、にひひと笑った香月に唇を尖らせる遥人。
「お父さん、ごめんね。心配させちゃって」
美海が遥人に手を伸ばすと、遥人も手を差し出した。恭しく手を取った遥人は、上下に優しく振る。
「まあ、その子達に美海が見咎められて、という訳じゃないからちょっとホッとしたよ」
「大丈夫だよ、お父さん。ありがとうね」
握り返し、その大きな手を同じように振った美海。
「遥人、じゃあさ。明日同じような事があって、美海がまたしてもチョコを入れられない状況になったらどうするよ? せーの」
ニヤニヤと問いかける香月に、遥人の眉がピクリと動いた。
「「絶対に許さんっ!!!」」
二人が楽しげに、いえーい!とハイタッチをする。堀家では美海が物心ついた頃からのテンプレートなので、タイミングも息もぴったりである。
「その時は呼んでよ?美海」
「気合いを入れて駆けつけるからな!任せろ!だっはっは!」
力こぶを作り、ポージングをしながらそんな事を言いだした二人に美海は慌てた。
「もー、絶対に呼ばないからね」
「「ええー」」
大人二人のアヒル口が、尖がった。
●
明日の準備を終え、ベッドに潜り込んだ美海。
(もー、そうやってすーぐ私をからかうんだからっ!)
優しく笑う遥人とお道化る香月を思い出しながら、美海はベッドの上でジタバタと足を動かす。
(でも……私が元気なかったり落ち込んでると、いつもこうして元気をくれる。嬉しいなあ、ありがたいなあ……大好きだなあ)
「お父さん、お母さん、ありがとう。大好き」
じんわりと熱くなった胸の奥に、思わずその気持ちを声にした美海はまた気合いを入れなおす。
(そうだ。明日がバレンタインデー本番。恋の神様に見守ってもらえるように頑張らなきゃ。早起きして、下駄箱か机に……ううう、直接は、直接は無理ぃ。とにかく、この五年分の大好きとありがとうは絶対に伝えたい。例え……気持ちが届かなくっても)
美海はベッドから起き上がり、遠峰に書いた手紙をカバンから取り出した。折れ曲がらないように気を付けながら、そうっと手紙を抱きしめる。
(この五年間、カッコよくてステキな所がいっぱいいっぱい見れて、すっごく楽しくて、嬉しくて、幸せだった。それに今は、昔よりもっともっと好き)
美海は自分の決意を確かめるように、深く深く、ゆっくりと呼吸をした。
(遠峰君は私を只の友達としか見てないと思うけど……私は君と手を繋げるくらい、傍に行きたい。もう、好きだっていう気持ちが溢れてる。だから、だから、明日…………)
美海は大きく深呼吸して、そっと呟いた。
「君への気持ち……届けさせて下さい」
決意を胸に、美海は再びベッドに潜り込んだのであった。
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