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香月の想い
早朝、堀家玄関。
生あくびを嚙み殺した香月が、まだ温かさを残した弁当を手に、昨日より更に早い時間帯に学校へ行く準備を整えた美海を眺めている。
「準備できたか?ほら、美海お弁当。気合いのキャラ弁だ。忘れもんは無いかいな?」
「ありがと、楽しみ!あ、ええとですね……みんなのはカバンの中、シートにも包んだ、よしっ!遠峰君の分は手に持ってます!」
香月の問いかけに、美海はカバンと自分の胸とそれぞれに、ぽん、ぽんと手を置いて元気よく返事をした。
「そっか!じゃあ準備万端だな!」
香月が、やるじゃねえかコノ野郎!と言わんばかりの楽しげな表情でサムズアップをする。
すると。
「…あれ?あっ!マグボトル忘れたあ!」
「お約束、ごっそさん」
「ち、違うもんっ!」
靴を脱ぎ、慌てて台所へと駆けこむ美海。
(ま、五年越しの一大イベントだ。焦ったり緊張すんのも無理ない無理ない)
「えへ、忘れ物でしょんぼりしなくて済んだ!」
「そりゃよござんした」
「言い方っ……!じゃあ、行ってくるね!」
「ん、頑張ってこい」
「うん!ありがとう!ほあ!」
美海は顔いっぱいの笑顔で拳を差し出した。香月はありったけの想いを握りこんで、拳を合わせる。
「「うぇーい!」」
●
慌ただしく駆けていく足音を聞きながら、香月は冬の朝の冷え込みに構わず、エプロン姿でベランダに出る。
見下ろしていると、玄関から走り出る美海の背中が見えた。
「お、元気いっぱいだな。よしよし」
その背中が曲がり角で見えなくなると同時に、香月は美海を身籠って以来吸っていなかった煙草に火をつけた。
(うあー、効くな……。目が痛えし肺まで吸い込めねえや)
ふらつき、涙目になりながら香月は紫煙を燻らせる。
(美海が遠峰君を好きになって五年、か。早いもんだ)
今まで、好きという気持ちを伝えずに、伝えられずに温めてきた美海が今日、勇気を出して初恋にぶつかる、飛び込んでいく。
ふうううう。
想いを噛み締めるように、大きく煙を吐き出した香月。
(だが、こればっかりは神のみぞ知る、だ)
ジジジ、と音を立てて真っ赤に燻ぶる煙草の先を見つめながら煙を吸い込んだ香月は、混ぜこぜになった自分の中の期待と不安を煙と共に吐き出していく。
(自分の気持ちと意思を目いっぱい抱きしめて走り出した美海に今、私達ができる事は……応援して、祈るぐらいしかない)
香月は先に出勤していった遥人の昨晩の台詞を思い出す。
『娘を嫁に出す気持ち、分かる日がくるとはね』
『落ち着け。したり顔で滅茶苦茶抜かすな。早えよ』
寂しそうに、そして感慨深げにグラスを傾ける遥人にツッコミを入れた香月。
が。
娘が親の手から中からゆっくりと羽ばたこうとしている事に対する感覚なのだろう。香月には遥人のその気持ちが痛いほどわかった。
(美海は、この初恋が成就してもしなくてもまた大きく成長するんだろうな。親馬鹿を差っ引いても、ホントいい子に育った。最近はもうウチらがアイツの言葉や行動から教わる事ばっかだがな、ハハッ)
そう考えつつ、香月は携帯灰皿に煙草を押し込んだ。
(遠峰君の事は五年間美海からリアルタイムで聞いてる。きっと、美海や告白してくる女の子達を無碍にする事なく真摯に向き合ってくれるだろうな。後は……)
ぱんっ!
香月は手を打ち合わせ、目を瞑った。
(恋の神様、頼むよ。ホンの少しでもいい。美海の告白も応援してくれないか。もし、もし。想いが届かなかったとしても……美海が『告白してよかった』って思える様に)
一心に願い、目を開けてそっと手を離した香月。
「やっぱ寒ぅ!晩ご飯、どうすっかな。ま、どちらにしてもご馳走作って待っつのは変わらんか」
部屋に戻り、エプロンのポケットからスマホを取り出した香月は、スイスイ、と遥人にチャットを送る。
「『今日は豪勢なディナーにすんぜ!帰りに美海の大好きなレアチーズケーキ頼むわ』……これでよし、と。さあ、美海。『初彼ぴっぴできました!』会にしてくれよ?」
顔を真っ赤にしながら、あうあう!と照れまくる美海を想像した香月は、ニンマリと笑った。今はただ、美海の嬉しい報告が来る事を信じると心に決めて。
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