ゴールデンウィークは殺人鬼とクルーズ船 中編

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 鼻のおれまがった女性の顔面を見て、コメディ映画や小さな子どもの微笑ましいところを見た時のような顔つきをしている。 「頭が可笑しい」  ぼうぜんとしている女性の唇がゆっくりと動き、そんな言葉を並べていた。おそらく、心の底からでてきたであろう、それは。  お互いさまだと思うけどな。恋人がいるのに浮気を。いや、さらに上位の存在へとのり換えるのは良いとしても、その相手をおとしめるのは最低だ。  と、その人間は口にしている。 「あっそ、それなら別れましょう。そっちもそのつもりでここに呼びだしたんでしょう。それと、この顔面のことは後で」  女性は、その人間の顔を見ると唇を動かすのをやめてしまった。うつろな目。たまに、道ばたに転がっている壊れた玩具を見下ろすように眺めて。  風を切り裂くような音とともに女性の横腹が蹴り上げられている。鈍い音を響かせつつ勢い良く甲板の上を転がっていく。  転がりおえると、あばら骨でもおれたのか横腹を手で押さえ。女性は短く、荒い呼吸をくり返している。  甲板の上に寝転んでいる女性のほうにその人間は近づき、青ざめて苦しそうにしている顔をのぞきこむと満足そうに唇を三日月の形にしていた。  よっこらしょ、とでも言うようにその人間は動けないであろう女性の前にしゃがんで、やわらかな右手を両手で握りしめている。  一本。ささやくような声とともに、女性の親指が反り返るようにおれまがった。甲高いメロディが辺りに響いていく。  そんな女性の歌に聞きほれつつ、その人間はやわらかな人差し指、中指、薬指、小指、と順番に。甲高いメロディにまじるように、たまに鈍い音がしていた。  さまざまな向きにおれまがっている女性の十指を見つめて、その人間は満足そうに笑いながら立ち上がっている。  顔面を蹴られて、女性の身体が大きく浮き上がった。顎が跳ね上がり、口から小粒な歯がなん本か勢い良くはきだされていく。  ボールでも追いかけるように転がっている女性に近づき、その人間は顔を踏みつけた。 「た、助け」  左足で顔を踏みつけた状態のままで、その人間は右足をみぞおちにめりこませている。二回、三回、女性が呼吸をしようとするタイミングに合わせるようにくり返して。  意識を失ったのか、動かなくなった女性の顔を踏みつけるのをやめて、その人間が蹴り上げていた。
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