第2話

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第2話

 現在、世界の人口は150億余りにまで達しており、どの国も食料危機に陥っていた。  国際機関の『地球連合』が危機の解決を担うことになり、これまで様々な策を講じてきたが未だに解決への道筋すら見えない状況だ。  当初、単に食べる物がが不足していると考えた地球連合は食糧の増産で解決に取り組んだが実際は増えた分以上に消費する人口が多くなっていた為、失敗に終わってしまう。  その後、対策の主眼を人口増加の抑制に切り替えるが平均寿命が毎年延びていく為、効果は全くと言って良い程表れなかった。  地球の人口を削減出来ると期待していた火星移住計画が現地での食料調達に失敗して頓挫すると、その後は手詰まりの状況に陥ってしまった。  その『地球連合』は『ザ・ユナイテッド・ネイションズ・オブ・ジ・アース』の国際名称を持つ機関で地球と宇宙における平和の追求を目的とし、全ての国が加盟して設立されたものである。  設立当時の2140年は誰もが100歳までは生きられ、その後も医療の革新により人の寿命が飛躍的に延びると言われた時代だった。  長寿は喜ぶべきものと歓迎される時代はとうに過ぎ去り、高齢化による様々な問題や急激な人口増加による食糧不足が表面化して人々を苦しめていた。  やがて、多くの国が深刻な食糧危機に陥り解決の為の膨大な予算が必要になると、どの国も開発中だった宇宙戦争の費用を削って捻出することを考え始めた。  しかし、その為には先ず戦争のリスクを下げねばならず、その方法として用いられたのが平和共同体を創ること、つまり全ての国が加盟する『地球連合』の創設だった。  各国の目的が食糧危機の解決だった為、純粋に平和を望んでの設立とは程遠かったが実際に宇宙における戦争のリスクは下がり、多くの国が宇宙開発という重荷を降ろす事ができた。  膨大な予算が使えるようになり、様々な観点からの調査・研究が進むと食料危機は気候温暖化がその根底にあると判り、国や地域ごとに解決できるものではなくなってしまう。  気候温暖化の解決は地球規模の協力なしでは不可能と判ったが、自国の利益の為に宇宙戦争を計画するような国ばかりではその後もただ食糧危機が深刻化していくだけだった。  そうなると危機の解決には世界的に強制力のある法律が不可欠と考えられるようになり、地球連合は2155年に全ての国が遵守しなくてはならない法律の『世界法』を制定できる機関となった。  しかし、法を定めるだけで人口増加を抑えられる筈もなく食料危機はさらに悪化し、効果的な策を講じられない地球連合に人々の激しい非難が向けられるようになる。  窮地に追い込まれた地球連合はもう他に打つ手はないとして、人口を削減する為の『ヘヴン・プロジェクト・ロー』という世界法を制定する事にしたのだ。  31年前に制定されたその法律はこれまでにない革新的なもので、法律の施行時に60歳以上の人は志願制、それ未満の人は60歳を迎えた時点で30日以内に人生を終える儀式を行わねばならないというものだった。 『命の相続』と呼ばれるその儀式は法律の原文にある『Life inheritane(=命の継承)』を日本語にしたもので、自分の命を次の世代へ引き継ぐことであり、『ヘヴン・プロジェクト・ロー』において『死の選択』を意味した。  法律の内容が公表されると、生命の終わりは神の定めに従うべきだと主張する様々な団体によって反対運動が起こり、世界的な混乱を招くことになってしまう。  そんな状況で法律が施行される事はないだろうと人々は思ったが、さらなる食糧事情の悪化により老人排除思考が芽生え、年寄りに対する暴力や殺人が増え始めるとたちまち世界中で受け入れられた。  実際に法律が施行されると、持病のある人の多くはこの大変な食糧危機を生きるより楽だとして『命の相続』を志願し、その人生を終わらせる選択をすることになる。  また、健康であっても若者の将来の為にと進んで人生を終える者もいて、志願制に該当する人の約6割が『命の相続』を選ぶという結果になった。  人口増加の抑制に主眼を置いたこれまでの対策と違い、人の数を減らす為の法律は非常に効果的で短期間に世界人口の1割を減らす事に成功し、今では食糧問題を解決できる唯一のものとして世界中が期待している。  日本では新しい法律を監理するヘヴン・プロジェクト庁が創設され、『命の相続』は庁が認可する『ヘヴン執行場』で行うと定められた。  殆どが火葬場に併設されていた為、人々はそこから『天国(=ヘヴン)』に行けるようにとの願いを込め、執行場の事を『ヘヴン』と縮めて呼ぶようになった。  法律上は満60歳になった時点で『命の相続』の対象となるのだが、実際はその5ヶ月前に『ヘヴン対象者』となった旨の通知を受け取り、自分の執行日を誕生日後の30日以内で決めなければならない。  特別な理由がない限り火葬される場合と同様に居住する地域の行政が指定する執行場で行うとされ、当日はドローンリムジンが自宅まで迎えに来るようになっている。  ヘヴン対象者と参列者を乗せたリムジンが『ヘヴン執行場』に到着すると全員が迎賓室に通され、2時間程のお別れの儀式を行う。  その後、対象者だけが一足先に執行室へ向かう事になるがそこで対象者の到着を待つのは『命の相続』を執り行う執行人1名と法律によって定められた立会人の3名である。  立会人の内訳は死亡診断を行う医師2名と執行が法律に則って正しく行われたことを見届ける弁護士1名とされていた。  執行場の規模は迎賓室の数などよって変わる一方、その中にある執行室は造りや機能が法律で細かく規定されている為にどこでも見た目は同じだった。  濃い茶色を基調とした木材をふんだんに使った高級だが温かみを感じさせる内装で、中央には『命の相続』を行うブースが四方をガラス張りにして一段高い位置に設けられる。  それをぐるりと囲むように配置された参列者席の天井にはガラス張りのブースに向けて沢山のスポットライトが取り付けられ、そこをステージのように明るく照らし出す。  その眩しさでブースの中のヘヴン対象者からは薄暗い執行室内の様子は一切見えないという仕掛けになっていて、皆が悲しむ光景を人生最期の記憶とせずに済むのだった。  一足先に迎賓室を後にした対象者は地下の専用通路からガラス張りのブース内に入り、備え付けのベッドで横になる。  鎮静剤によって頭が少しぼんやりしているがそのお陰で心は穏やかにいられ、静かに『命の相続』の執行を待つことが出来るのだった。  その後、ブースの外に集まった参列者へ代表者がマイクを使ってお礼を述べるが、それらの音もガラスが完全に遮るので内部には静寂しかない。  挨拶が終わり、マイクが執行人に手渡されると、 「それでは命の相続を執り行います」静かに告げて壁にある鍵穴にキーを差し込んでゆっくり捻る。  薄暗い執行室でひときわ明るい緑色に点灯したスイッチを執行人が押し込むと赤色に変わってブザーが鳴り、神経ガスが音もなくブースを満たしていく。  参列者が見守る中、静かに噴射されるガスが対象者を苦しませることなく5分程で死へ導くが、鎮静剤のおかげで先立つ辛さや寂しさを感じることはない。  そのままの状態で30分間置かれた後に2名の医師がブースに入って死亡確認をし、弁護士が法律に則って行われたとする書類にサインすると『命の相続』は完了となる。  特別な事がない限り参列者はここで帰路に着くが残された家族はその後、遺体を隣の火葬場へ移して荼毘に付し、簡単な葬儀を執り行ってようやく終了となるのだった。  法律が施行されて間もない頃は『命の相続』がどんなものか見たいという理由から知人の殆どが参列していたが経験者が増えるに従って参加者は減り、やがて身内だけで行う今の形が一般的となった。
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