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第3話
修一が食材としては入手が容易なジャガイモで作られたポテトチップスの袋に手を伸ばしながら
「60歳になってもヘヴンへは行かず、犬とか身近な動物に変身して家族と暮らす方法があるらしいよ。すごくお金が掛かるようだけど…」と話題を振って皆の反応を伺う。
「私も聞いた事があるわ。ペットのフリをして…と」由美子はそう言うと真剣な顔で修一に向き直り、「動物になったって貴重な食糧を食べる事には変わりないし、違法なんだからちゃんと取り締まって欲しいわ」と少し険しい表情になって言った。
その言葉に一瞬たじろいだ隆は心の動揺を悟られないようにして、
「動物になったってこの食糧難を生きるのは大変だ。人類のお役に立てるヘヴン行きを選ぶ方が楽だよな」笑いながら返すと、
「私もそう思うわ。でも、お金持ちの間ではペットになりすまして生き続けるのが普通になっているみたいよ」由美子が続ける。
「金のある人が違法に長生きすることで食料が足りなくなり、若い人達が生きられないなんて不公平だよ!」修一が嘆くように言うと、そんな会話で少し堅苦くなった空気をよそに
「ジャジャ──ン!、おまたせー」と美沙が沢山の料理が乗るワゴンを押して現れた。
そのワゴンに乗る数々の料理が最近では滅多にお目にかかれない贅沢なものだったから3人はそれを見て驚き、
「うわ〜贅沢ーぅ、うまそ〜」と声を揃える。
それらの贅沢食材は60歳を迎えた隆へ国が配給したものだった。
食糧難の中、ヘヴンへ行く人々の最後の晩餐を豪華にしてあげようという計らいで60歳を迎えた日からヘヴンへ行く日まで毎日届けられるのだ。
宗教上の教えなどからその食材の全てを貧しい子供達が暮らす施設に寄付し、人生最後の善行で身を清めてからヘヴンへ行こうと考える人もいるが隆は普通に友達や妻の美沙と晩餐を楽しむ事にしていた。
普段、目にする事のないその贅沢な料理をしばらく皆で眺めた後、各食材の珍しい食べ方で盛り上がる。
そこからはあまり飲めない美沙もジンジャエールのグラスを手に3人がしていた話に加わり、料理を食べながら驚いたり笑ったりと大いに楽しんだ。
「今日はいつものように、明るく笑って別れよう」自分が淹れた酔い冷ましのエスプレッソコーヒーを皆で味わいながら隆が言うと、
「そうだね。最後は元気よく別れよう!」湿っぽいのが苦手な修一がすぐに反応し、両手で持ったカップをじっと見つめていた由美子も顔を上げてゆっくり頷いた。
その後、コーヒーを飲みながら再び思い出話に花を咲かせ、時計の針が11時を回った頃、
「じゃあ、タカさん。またね!」修一と由美子は隆が望んだ通りに笑顔で別れを告げ、元気よく手を振りながら帰っていった。
2人の少し寂しげな後ろ姿を廊下の角まで見送った隆がドアを閉めるとすぐに不安な表情の美沙が話し出す。
「あんな話題を持ち出すなんて…。まさか、気付かれていないわよね?」
「うん、十分に気を付けてきたからそんな筈はないよ」隆はそう答えながら、変身する事は違法だと言い放った時の由美子の厳しい表情と、金持ちだけが生き長らえるのは不公平だと批判した修一の言葉を思い出していた。
同じ事を考えているのか、落ち着かない顔をして何も言わない美沙に
「由美子と修一が執行に参列する訳でもないし、何も心配する事はないさ!」隆はその不安を吹き飛ばすように明るく言って笑顔をみせた。
するとようやく美沙も笑顔を取り戻し、
「そうね。気付く筈はないわね!」そう言い残して食事の片付けをしにキッチンへ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから29日経ったヘヴンへ行く期限の前夜、入院の準備をしようと書斎にやって来た隆は他人に見られないように隠しておいたリーフレットの事を思い出した。
シュレッダーにかけようと本棚の奥から引っ張り出したがその表紙を見て、そのままデスクの椅子にゆっくり腰掛ける。
艶のある黒い表紙の上部に『60歳のメタモルフォーゼ(=変身)』と小さなタイトルだけがある、秘密めいた印象のリーフレットは医療機器メーカーの副社長を務める知人から5年前に貰ったもので、そこには60歳以降も生きていく方法として動物への変身が紹介されている。
その人は3歳年上だからすでに対象者となり、ヘヴンへ行った事になってはいるが実際は『命の相続』をしたのか、それともリーフレットにある動物に変身したのか知る術はない。
海外にも家を持っていたその人がもし変身しているなら、どこか別の国で暮らしているだろうと隆は思っていた。
どの国でも変身動物と判れば死刑に処せられてしまうのは同じだが本物の動物と見分けられない為に捕まる心配がないのも同じで、ならば知り合いに会う危険が少ない外国の方がより安心して暮らせると思っていたのだ。
変身動物が捕まらない理由は他にも、『ヘヴン・プロジェクト・ロー』が若年層の救済を主たる目的に急遽制定された法律で公平さに欠ける不完全なものだった事が挙げられる。
警察は法律がいずれ大きく修正されれば罪が罪でなくなることもあり得ると考え、変身動物を積極的に取り締まろうとはしなかったのだ。
その後『命の相続』を体験し、その悲しみを知る者が増えてくると不公平な法律が適用される人々に対して哀れみの感情が芽生え始める。
哀れみは次第に人間の姿でなければ寛大に受け止めようという考えに変化し、そんな風潮が社会を占めるようになると取り締まりを求める声は殆ど聞かれなくなった。
そのお陰か、富裕層の間では変身術を違法と捉える人は少なく、60歳になったら「ヘヴンに行くか」「変身するか」の2択が今では普通になっている。
長く生きたいと願う人が金持ちに多いことからそれが違法であるにも関わらず、その利益目当てに変身術とは別の方法も様々考案され、これまで試されてきた。
しかし、その全てが人として生きることを前提にしていた為に困難が多く、実現したものは1つもない。
初期の頃に試された方法でヘヴンへ行った事実を偽装した後、ずっと隠れて生きるというのもあったが、そんな日の目を見ない生活に3年以上耐えられた者はおらず、殆どが精神を病むか外に出て逮捕されてしまうという結果に終わった。
その後、見た目を若返らせて別人になりすまし、人間の姿で堂々と生きる方法も考えられたが整形術では心まで若くなれる筈もなく、すぐにバレてしまう事が判るとそれを試そうという人はいなくなった。
実際に逮捕されるとただちに『命の相続』を執行されてしまうのだが、その名目は『ヘヴン法違反の死刑執行』という不名誉なものにされてしまう。
当人にとってはそれで人生が終わることに変わりないかも知れないが、残された者にとってそれは大違いだった。
ヘヴン法を犯した者の家族として社会から猛烈なバッシングが浴びせられ、就職や融資を申し込むといった重要な時に不当な扱いを受ける場合もある。
そうしてまともな人生を送れなくなった上、違法に生きた年数に応じた多額の罰金まで科せられてしまうのだ。
自分だけでなく家族まで大きなリスクを冒さねばならないという事が知れ渡ると、人間の姿で生きたいと望む者は徐々にいなくなっていった。
『ヘヴン・プロジェクト・ロー』が施行されたばかりの頃はそうして違法に生きようとする人ばかりでなく、もっと純粋な理由からヘヴン行きを拒否する人達がいた時代もある。
それは神から与えられた寿命を全うすべきと考える人達で世界中の過疎地にコミュニティーを造り、自給自足で暮らしていた。
しかし、ヘヴンへ行かない者を非国民と呼び、殺害してしまう『ヘヴン逃れ狩り』が過激な若者達の間で流行り出すとたちまち姿を消していった。
そうした紆余曲折を経て現在、60歳以降も人間の姿で生きているのは国から特別に許可された者だけになり、ペットや野生動物に紛れて暮らす変身術だけが生き長らえる方法として残っていたのだった。
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