飼育員のオッサン、魔物に拐われて画家になる

2/18
前へ
/18ページ
次へ
束になった画用紙をパラパラめくると、これまでの足跡が、かすかによぎる。 休日に描いた旧世代の列車。 風邪で養生していた日に描いた冬の終わり。 仲直りをした日に描いた妻の姿。 幼き頃に描いた生家と父。 拙い絵だ。 だからこそ、ここ最近は静物画ばかりに時間を割いていたのだが、上達を目指すほど、技術ばかりに気を取られ、描くことに没頭できていない。 そんな自分に気づいたのは、昨日のこと。 小さい頃から絵を描き続けてきたというのに、この年になって気づくとは。我ながら恥ずかしい。 技術力向上のため、花瓶と果物の配置をあえて小難しくしてみるのが常であったが、今日は窓の外を描くことにした。 窓越しに流れる風景は、刻一刻と過ぎていく。どの一場面を切り抜くか悩ましくて、ついついボーっとしてしまう。 色の抜けた葉を秋風がさらう。 他愛もない風景なのに、身につまされる。 齢50にもなり独り身。かつての結婚生活に突然終止符を打った元妻は、後日便りを寄越しこう言っていた。 つまらなかった――。 人の価観というのは難しい。 はじけた人生を望む人にはつまらなくても、慎ましく堅実な人生を望む私には大変心地よい生活だった。 高望みせず、身の丈に合った野望を持ち、ひたすらに勤勉であり続けて、ゆっくりと静かな時間を誰かと過ごす。 時たま旅行にでも行って、酒を飲み、若かりし日の失敗を笑い、若かりし日の夢を語り、結局今が幸せであると言いながら、わずかに残った酒をあおって机に突っ伏す。 そんな日々はただの空想でしかなく、あえなく一人となってしまった。 さらさらと風に乗る木の葉を描き、寂しくなった枝と幹、根を張る地面と帰路を急ぐ青年たち。 夕暮れ時、初秋来たりてうすら寒い部屋の中、一人細々と描き出したスケッチは、悪くない出来だった。 翌日、朝日が昇る前に起きたら、口をすすいで、洗顔とヒゲ剃りを済ませる。 朝食は決まって、焼いたパンだ。 パンを焼くのは、独身時代からずっと使い続けている年代物の魔道具。 魔力を流すとパンを両面から焼いてくれる、小さな竈のようなものだ。 新しいものに買い替えたほうが、魔力効率だとか焼き上がりが良くなるのだろうが、コイツにしか出せない焼き色というものがある()()()
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加