飼育員のオッサン、魔物に拐われて画家になる

3/18
前へ
/18ページ
次へ
そうやって過分な期待をしていたら、最近は、竈から出てくるパンが黒くなることが多くなった。 やはり買い替え時なのかもしれない。 バターを塗って、苦いパンを頬張った後は、よれたスーツに袖を通し身支度を整えて、スケッチに向かい合う。 輪郭を濃く太くして綺麗な下絵に整えるのだが、この作業は数日に渡ることが多い。 妙に凝ってしまう性格と、技術向上の意識が災いして、微調整ばかりを繰り返すから作業が長引く。 けれど今回のスケッチは、風景の一部分を切り取ったもので、今から窓の外を覗いてみても、同じ風景は流れていない。 比較すべき対象は我が脳みそに収められた、完成した絵だけなのだ。 その絵に向かって鉛筆を動かすと、なんと不思議な事か、下絵が完成した。 懐かしい感覚だ。 幼き頃にも、似たような事があった。 何も考えず、頭の中の空想をひたすらに描くと、驚くほど早く、見惚れてしまう絵が出来上がった。 万能感に満たされた私は、才能があると勘違いしてしまった。 幸いにも画材はたんまりとあったから、毎日絵を描き続け、寝食を忘れて色を付け、狂ったように画用紙を並べた。 見かねた父は、私を部屋から引きずり出し、せめて飯を食えと言ったと思う。 絵に取り憑かれてた私は、自分の有り様も不確かなほど、絵以外のことを考えられなかった。 そしてなにをとち狂ったのか、画家になる!と宣言した。 私の言葉を聞いた父は、呆れ顔から怒りに顔を歪め、腰からベルトを引き抜いて、私の頬を張り飛ばした。 私をこっぴどく叩きながら、画家をクソミソに罵っていたと記憶している。 あんなものは娼婦と変わらん。 堕落した人間のお遊びだ。 目指すべき人間ではない。 労働を忘れた人間は獣だ。 画家といえばパトロンに媚を打って、画家といえば女遊びが激しくて、画家といえば薬に走りがちで、画家という名称は職業ではなく、見下すべき落ちぶれた人間の階級である。 おおよそ、そんなことを言いたかったのだろう。 当時はちんぷんかんぷんであったが、今となれば父の憂いと狂気的な躾の意味が分かる。 晩年、父は言っていた。 好きなように絵を描かせたのは、お前の笑顔を見たかったからだと。 父は私に甘かった。母が亡くなり、私をとびきり甘やかしていた。 私の絵を褒めてくれたのも、父だった。 だからこそ、父は驚き慌ててしまった。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加