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そうやって過分な期待をしていたら、最近は、竈から出てくるパンが黒くなることが多くなった。
やはり買い替え時なのかもしれない。
バターを塗って、苦いパンを頬張った後は、よれたスーツに袖を通し身支度を整えて、スケッチに向かい合う。
輪郭を濃く太くして綺麗な下絵に整えるのだが、この作業は数日に渡ることが多い。
妙に凝ってしまう性格と、技術向上の意識が災いして、微調整ばかりを繰り返すから作業が長引く。
けれど今回のスケッチは、風景の一部分を切り取ったもので、今から窓の外を覗いてみても、同じ風景は流れていない。
比較すべき対象は我が脳みそに収められた、完成した絵だけなのだ。
その絵に向かって鉛筆を動かすと、なんと不思議な事か、下絵が完成した。
懐かしい感覚だ。
幼き頃にも、似たような事があった。
何も考えず、頭の中の空想をひたすらに描くと、驚くほど早く、見惚れてしまう絵が出来上がった。
万能感に満たされた私は、才能があると勘違いしてしまった。
幸いにも画材はたんまりとあったから、毎日絵を描き続け、寝食を忘れて色を付け、狂ったように画用紙を並べた。
見かねた父は、私を部屋から引きずり出し、せめて飯を食えと言ったと思う。
絵に取り憑かれてた私は、自分の有り様も不確かなほど、絵以外のことを考えられなかった。
そしてなにをとち狂ったのか、画家になる!と宣言した。
私の言葉を聞いた父は、呆れ顔から怒りに顔を歪め、腰からベルトを引き抜いて、私の頬を張り飛ばした。
私をこっぴどく叩きながら、画家をクソミソに罵っていたと記憶している。
あんなものは娼婦と変わらん。
堕落した人間のお遊びだ。
目指すべき人間ではない。
労働を忘れた人間は獣だ。
画家といえばパトロンに媚を打って、画家といえば女遊びが激しくて、画家といえば薬に走りがちで、画家という名称は職業ではなく、見下すべき落ちぶれた人間の階級である。
おおよそ、そんなことを言いたかったのだろう。
当時はちんぷんかんぷんであったが、今となれば父の憂いと狂気的な躾の意味が分かる。
晩年、父は言っていた。
好きなように絵を描かせたのは、お前の笑顔を見たかったからだと。
父は私に甘かった。母が亡くなり、私をとびきり甘やかしていた。
私の絵を褒めてくれたのも、父だった。
だからこそ、父は驚き慌ててしまった。
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