飼育員のオッサン、魔物に拐われて画家になる

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たぶん、私の表情から察したのだろう。 自分たちの身に何かが起きることを。 「逃げたいのか?」 「ピィピィ」 「……すまない。他の人に迷惑はかけられない」 彼らと、ある程度意思疎通できるからといって、何者かまで忘れたわけではない。 彼らは魔物だ。 人すら食らう魔物で、危険な生物である。 人間に害をなす魔物の中にはヒポグリフも含まれており、数名の人間も惨殺されている。 この格子戸を開け放ち、野に帰せば、どこかで人間を殺めてしまうかもしれない。 その責任は、私にとって重すぎる。 「今日は、お腹いっぱいになるまで、食べさせてやるからな」 だから、最後ぐらいは喜ばせてやりたいと思う。 ひとりよがりだ。 老いぼれた飼育員の。 ◇◇◇ 「……」 腕時計に視線を落とす。 退勤の時間から、1時間も過ぎていた。 晩ごはんは与えたし、厩舎の掃除もした。 ヒポグリフたちは眠るだけ、私は帰るだけ。 これ以上してやれることはない。 かといって、帰ってすべきこともない。 私は厩舎の真ん中に座り、ウトウトする彼らがちゃんと眠るまで見届けたあと、鞄を抱えて第三庁舎前駅へと向かった。 列車に乗り込んだ私は、どうしてここにいるのだと、自分に尋ねた。 彼らを助ける方法は、いくつかあった。 私の人生や命やお金をかければ、あるいは、助けられる。 実行できなくとも、涙の一つぐらい流してやれる。 明日の朝まで一緒に過ごすことだってできたのに。 私は、冷酷で温情の欠片もない人間なのだろうか。 今思えば、妻が出ていった時にも泣きはしなかった。 父にベルトでぶたれたときも、顔は腫れたが、へっちゃらだった。 課長から、ヒポグリフの処分宣告を受けた時だって、軽い抵抗をしただけで、縋り付くような真似はしなかった。 思い出せる涙は、ヒポグリフの子供が亡くなった時ぐらいか。 いや、違った。 子を失い憔悴したヒポグリフが、肉を頬張り、物欲しそうに、残りの肉を睨んだ時だ。 あれは……。 白黒の生命が色づいた瞬間だった。 漫然と惰性のままに生きてきた私には、あまりにも尊く輝いていた。 あの時私は、感動したのだと思う。 生きる原動力を、まざまざと見せつけられて。 生きようとする姿を見せつけられて。 私は将来にばかり目を向けてきた。
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