つ ぎ

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 大きなマスクをつけ、サングラスをかけて出社した。鏡なしで化粧はできない。苦肉の策だった。  酷い風邪を引いた。免疫が弱まったせいか、ものもらいまでできてしまった。  と、上司や同僚の質問を受け流した。 「ミカ君。今日は休みなさい」  課長の指示は親切なのに、口調の冷ややかさが気になる。午前の会議に出た後に退社すると頭をさげた。  会議では、不透明な金の流れを発見した際の対処方法が伝達された。銀行の不正行為がニュースで流れるたびに、くり返し聞かされていることだ。なにを今さらといった内容だった。マニュアルもある。  なぜこのタイミングでこの話題なのだ、と思いを巡らせたら、「ひっ」と喉が鳴った。皆の目が集まる。わざと咳をして、風邪のせいでおかしな声が出たのを装った。  私の横領が発覚したのだ。課長の目は、まだ私を見ている。冷ややかな視線だ。いたたまれなくなり、席を立った。 「やっぱり調子が悪いようです。早退します」  マンションの部屋で対策を考えるが、焦るばかり。正気が保てない。横領した金から、帯封のついた一束を手に取り、バッグに突っ込む。マスクとサングラスを剥ぎ、凛也に会いに行った。化粧はしない。すっぴんの私でも、凛也は快く受け入れてくれるはず。  店に入ると、奥の小部屋に案内された。ソファーはない。会議室でよく見かける長机のまわりに、折りたたみ椅子が乱雑に置かれている。壁紙は隅がめくれていた。客用の部屋とは思えない。飲み物も出されずに一人にされた。  すぐに凛也が顔を出す。知らないホストが二人、扉の前に立った。  私を見ても、凛也は喜ばなかった。それどころか。 「お前はもう出入り禁止だ」 「ど、どうして」 「最近、刑事がやたら俺のところに来やがる。今、話題になってる食い殺し事件の聞き込みだ。俺の客が次々とやられてるからな」 「凛也は関係ないでしょ」 「ああ。関係ない。でもな、刑事は余計なことまで嗅ぎまわるんだよ。お前、ヤバい金に手をつけてるだろ」  自分で頬が引きつるのがわかった。 「無理な支払いをさせてる客はいないかって、刑事に訊かれた。冗談じゃねえ。お前が勝手にやったことなのに」 「でも、凛也のためなんだよ」 「うるせえ。もう、来るな。変な犯罪に巻き込まれるのはまっぴらだ。それによ、お前なんかよりも筋が良くて、太い客をつかんだんだ。お前は用済みなの。次がいるんだよ、次が」  私の左右にヘルプのホストが立ち、腕を取られた。強い力で、椅子から引き剥がされる。凛也はもういない。大声を出そうとしたが、男たちの頬の硬さが怖くて喉が凍った。  店内を引きずられ、玄関へと向かう。俯いて動かない私は、酔い潰れた客に見えるだろう。  すみません、と私を運ぶホストが言った。なにごとかと顔を上げると、店長がいた。鋭く顎を振っている。早く追い出せのサインだろう。  店長とすれ違う。いかにも場慣れしない女が、生まれたてのヒナのように店長の背中を追っていた。  野暮ったい女だった。かっちりと襟を合わせたグレーのスーツ。長い黒髪。捨てられた犬のような目をしていた。この女も、誰かに頼りたくてホストクラブを訪れたのだ。  玄関が開き、形だけは丁寧に捨てられた。扉が閉まる前に、凛也の大きな声が聞こえた。 「めぐみちゃん。待ってたよ。店長、エスコートありがとうね」
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