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「おはようございます」
私は下を向いて歩く癖があり、ふいに上から降ってきた声に顔をあげると、明るいオレンジ色が視界に入ってトイレに消えた。研究室に向かっている時だった。
知ってる人やった?
私は不思議に思う。今の人が来た廊下沿いには中国哲学と、中国文学、東洋史の研究室しかない。
「おはようございます」
声をかけながら研究室に入ると誰もいなかった。鍵は開いてるし、電気もついてるのに。
先客はさっきの人かな?
ゼミのレジュメの担当が一週間後だったので、考えている暇はないと調べ物に入る。教授のゼミは厳しいと聞いていて、一ヶ月前から準備を始めていた。それでも不安だった。
押しピンで柱にとめつけてある、担当表を見る。私の前は広末龍樹とあった。
全然見ないけど、準備してるんかな。
その時、研究室のドアが開いて、オレンジ色のシャツを着た、男性が入ってきた。先ほどの人だ。
誰? やっぱり知らない人だ。
よくわからない人と研究室で二人きりというのはなんだか怖く、恐る恐る男性を見た。
目が合うと彼は、濃い眉を下げて、人の良さそうな笑顔を見せた。
「学部生? 新入生? 俺広末といいます」
ああ、じゃあ彼が不思議キャラの広末先輩。
「今年中文に入ってきた佐川桃花です」
「ああ、じゃあ君が、一年生の時からうちに来るって見学に来てたという」
「はい」
「なんで中文に? 結構マイナーな学科だと思うけど」
私たちは調べ物をしながら会話をした。
「受験生の時に読んだ、中国の歴史ミステリー小説がものすごく面白くて。それで中国に興味を持ちました。舞台になった故宮に行ってみたいんです」
「へえ。万里の長城をバイクで走ってみたいとか考える俺とはずいぶん違うな」
「え? それ、やっちゃダメなやつじゃないですか?」
「かなあ。でもそういえば俺も好きな中国の小説あるな。『蒼穹の昴』」
私はそのタイトルに瞬時に反応した。
「私が読んだ小説、です」
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