愛情おひる

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愛情おひる

 ふと呼ばれた気がして。  西野桜和(にしのはるか)はぼんやりと辺りを見回した。何故か頭の芯がぼうっとしている。 「桜和さん、ベッド行って寝よ。ここじゃ風邪引くよ」  隣から顔を覗き込んでいるのは阿部冴弦(あべひづる)だ。桜和は〝ここ〟と言われた場所を確認する。自宅のリビングのソファである。 「……あれ?」  斜めになっていた身体を起こす。するとふわもこな感触が手に当たった。ひざ掛けだ。ソファのひじ掛けにあったものがどうして身体にかけられているんだろう、とその端を握ってみて。 「桜和さん」  もう一度柔らかい声音で冴弦に呼ばれ、人差し指で頬をつつかれて。 (あっ)  ――ようやく現状を把握した。  今夜は桜和のマンションに冴弦が泊まりに来ていた。夕食後、冴弦が持ってきたDVDを一緒に観ていたのだが、冴弦が髪を梳いてくれる感触があまりに気持ち良く、その肩にもたれ掛かったまま途中で寝落ちしてしまったらしい。テレビ画面を観るとすでにエンドロールが流れていた。 「わり、俺が観たいって言って持ってきてもらったのに」 機嫌を損ねていないだろうかと焦る。本当にごめん、ときちんと謝ろうと思い、口を開きかけた時。 「っ」  ちゅっと吸われる唇。驚いて何も言えずにいたら、冴弦が破顔した。 「桜和さんの寝顔が可愛くてチラ見してたらおれも内容わかんなくなっちゃった♡だからまた今度一緒に観よ♡」  こういう時、冴弦は優しい。その優しさに桜和の罪悪感が本当に少し薄まるのだから、冴弦の優しさの効力はすごい。 「ごめんな、ほんと」  桜和はそう言って冴弦の唇に唇でそっと触れた。軽く吸い合い、離れる唇同士。そして冴弦を見ると、冴弦は愛しさを滲ませて微笑っていた。その笑みにときめいてしまい、誤魔化すために再び肩にもたれ掛かる。くすりと笑った冴弦があやすように頭を撫でてくれた。そのまま珍しく重い溜め息をつくので、桜和は驚いて身体を起こし、俯き気味の冴弦を見る。 「どしたん?」 「……や、明日から桜和さん、バイトの方が多く入ってるでしょ?だからゆっくりできるのはまた一週間後だなって」 「…うん……、まあ、仕方ねえじゃん?」  そうは言ったものの、明日からはけっこう忙しい。桜和の本業は作家だが、他に生花店でもバイトをしている。まだ作家業だけでは食べて行けないからだ。そこのシフトと、次回作に関係する取材の日程が集中してしまったのだ。 (だけど) 仕方ない、と言いつつ冴弦の言い分もわかる。桜和は苦笑を浮かべると、冴弦の手に自分の手を重ねた。 「なるべく時間作って冴弦のマンションに行くようにするし。冴弦もいつも通りこっち来ればいいだろ。それに楽団の練習日あるからその時も会えるじゃん」 「そうだけど……」  桜和は、納得いかないといった表情をする冴弦の頭を撫で、額にキスをしてやった。きっと冴弦のことだから、忙しすぎる桜和の負担になりたくないという気持ちと、会いたいという気持ちで葛藤しているんだろう。 (会いたい気持ちの方が勝ってるんだろうけど) そんなことを考えながら苦笑を噛み殺して。会いたいという思いが勝るのは、桜和も同じだから嬉しくないと言えば嘘になる。だからこそ、少し困ってしまうのだ。 「なあ、ひづ」  言いかけた時だ。 「う――わっ…!」  重ねていた手をいきなり摑まれ、ぐっと引っ張られたと思ったら、次にはもう息が詰まるほど抱き締められていた。 「わかってるけどさ。どっちかの家に泊まるにしても、朝、桜和さんを抱き締めて〝いってらっしゃい〟って見送って、夜〝おかえりなさい〟ってキスをする。その間、離れてるの何時間?」 「冴弦……」 「…よしっ、おれ決めた!」 突然冴弦が意を決したように言い、桜和の両肩に手を置き身体を離す。覚悟を決めたその瞳が真っ直ぐに桜和を見つめているので、むしろいろいろ心配になった。 「な、なにっ?」 「どっちのマンションに行くにしても、おれ、一週間桜和さんに弁当作ってあげるね」 「べっ、べべべべべ?弁当っ?」 「そしたら桜和さんにずっとおれのこと考えてもらえるでしょ?」 「そっ…」  〝そんなことしなくてもいつでも考えてる〟と勢いで口に出しそうになり、すんでのところで桜和は正気を保った。 (そんなんぶちまけたらあとが怖えよっ!)  きっと今夜は寝かせてもらえないだろう。 「確か桜和さんちにも弁当箱あったよね。明日はあれ使うね」 「えー……と……」  冴弦はやる気満々だ。正直嬉しい。素直に嬉しいと思う。が、脳内フル稼働で考えに考えたのだが、どうも嬉しさを表現しようとすると、冴弦のやばいスイッチを押してしまいそうで。 「……無理すんなよ?」  そう言って、冴弦の唇をちゅっと吸うに留めた。嬉しそうに頷く冴弦にまたぎゅっと抱き締められ、ついでに頬擦りされる。桜和もその背中に両腕を回した。 (ま、楽しみといえば楽しみ)  冴弦の本業も作家だ。しかし、やはり桜和と同じくそれだけではまだ食べていけないので、トラットリアでバイトをしている。そんな冴弦の手料理は何度も食べているが、手作り弁当となるとまた別物だ。桜和は冴弦を抱き締める腕を強くし、密かに笑う。 「桜和さん、そろそろ寝よっか」 「うん」  そっと身体を離すと冴弦が頬に柔らかくキスをしてくれる。それからはにかんだような笑みを浮かべた冴弦が桜和の髪を耳に掛けてくれた。甘く鳴る心音に、堪らない思いで今度は桜和からキスをした。 (めちゃくちゃ好き)  想いが溢れ、じわりと心が温かくなって。  今夜も良い夢が見られそうだ。 *     *     *  額や頬に柔らかいぬくもりが数回押し当てられる。くすぐったくて、それから逃れようと身を捩った。 「ん……?」  薄く開いた目が捉えたのは、身支度を整えてエプロンをつけた冴弦の姿。桜和が寝ているベッドの枕元に冴弦がしゃがみ込んでいたのだ。 「ひづる……?」 「おはよ、朝だよ」  ふわりと微笑う冴弦。桜和は冴弦の方を向いたまま、もそもそと伸びをした。 「んーっ、……絶対起きないからなっ」 「朝から意思が強くて良いと思うけど、ダメだよ」 「どっちだよ」  突っ込んだら冴弦が吹き出し、それから指先で前髪を梳いてくれる。桜和も小さく笑い、もう一度ころんと寝返りを打って仰向けになった。その途端、顔を覗き込む冴弦にちゅっと吸われる唇。 「おはよ、桜和さん」 「はよ」  今度はしっとりと。それから唇を離し額をくっつけて微笑った。 「可愛いな、桜和さん。このままどこかデートに行きたいね」 「よし行くかっ」 「……やっぱりダメ。今日は桜和さん、花に囲まれるんだし。花達が桜和さんを待ってるよ。そのうちわんこもにゃんこも寄って来るんでしょ?人気者だね」 「俺どっかのプリンセス?」  桜和が笑いながら突っ込むと、顔を上げた冴弦が綺麗に微笑って口を開いた。 「今日休もうよ。で、デート行こ。そうだ、ストレートタイプの除草剤を」 「店の花に撒かないでくれます?陥没するまでデコにデコピンするぞ本気で」 「どうして撒くってわかったの⁉」 「目が本気なんだよっ!」 「だって……」 「いきなり拗ねるなって」  溜め息混じりに言うと冴弦がむっとしたような表情になる。しょうがねえな、と桜和は勢いをつけて上半身を起こし、ベッドから降りた。そして立ち上がった冴弦の目の前に立つと両腕を大きく広げる。すると冴弦が腕を伸ばしてきたので勢いをつけて抱き着いた。すぐに抱き締め返され、そのぬくもりに、ほう、と息を吐く。 「冴弦?」 「ん?」 「弁当、本当に作ってくれたん?」  身体を少しだけ離して聞いたら、冴弦は可愛らしく微笑って頷いた。斜めになりかけた機嫌は元に戻ったようだ。 「もうできてるよ」 「見たいっ」 「ダメ、昼までのお楽しみっ」 「見ーるーっ」 「ダメだってばっ」  ぎゅうっと強く抱き締められて――動きを封じられたと言ってもいいかもしれない――、桜和は声を上げて笑ってしまった。冴弦とするこんなじゃれ合いも嫌いじゃない。 「ほら桜和さん、遅れちゃうから支度して」  何度目かわからないキスをされて、桜和はくすくす笑った。それからシャワーを浴び、身支度を整えてリビングへ向かう。リビングに繋がるドアを開けた時、対面キッチンの上にちょこんと置いてある、胡桃色の巾着袋を視界の端にとらえた。あの中に弁当箱が入っているのだろう。ちなみにあの弁当箱は、先日、居酒屋で冴弦と飲んでいたら、常連客らしき年配の男性に「可愛いのに酒強いねえ!ほらこれあげる!おっちゃんが商店街で貰ったの!遠慮しないで!ね!」といただいた新品の一段弁当箱と巾着だ。 「冴弦、あれ?」  一応、確認のために指で示して訊いてみた。すると冴弦は大きく頷き、 「そう、あれ」 「弁当?」 「弁当」 「ちょっと見」 「朝食はこちらにご用意してあります♡」  にっこり笑う冴弦に首根っこを摑まれ、強制的にリビングのソファに座らされてしまった。桜和は胸中で舌打ちをする。そんな自分は柄にもなく朝からハシャいでいる。今日の昼は冴弦の手作り弁当を食べるのだ。 (何もかもが俺得すぎて‼)  そうやって自分だけもだもだしていることに少し悔しく思いながら、桜和は冴弦と一緒に朝食を食べた。冴弦が作ってくれた朝食は洋風スタイルだったので、弁当は和食だろうかと何となく予想してみる。 「――はい、じゃあこれ弁当ね」  朝食後。バイトに行く支度を済ませてキッチンに行くと、皿を洗い終えた冴弦がランチバッグに入れた弁当を手渡してくれる。ランチバッグは桜和が応援しているサッカークラブのグッズである。 「あんがと。あと、皿洗いも。今度は俺がやるから」 「うん。あ、箸は割り箸入れたからね」  こんなことならランチバッグだけじゃなく、サッカークラブのロゴ入り弁当箱と箸も買うべきだったな、と思いながら桜和は玄関へと向かう。その後ろを冴弦がついてきた。いつものように見送ってくれるのだろう。 「おれ桜和さんが出たら一旦帰るね。夕方、買い物してからまた来るから」 「や、今日は俺が冴弦んとこ行くよ」 「ほんと?嬉しい。じゃあ待ってるね。――あ、桜和さん」 「え?」  靴を履いていたら、上がり框にいる冴弦が呼ぶので、桜和は顔を上げて肩越しに振り向いた。 「何?」 「弁当、昼前に開けちゃダメだよ」 「もし、昼前に蓋開けたら……」 「どんな理由でも昼前に蓋開けたら、途端に桜和さんの本は売れなくなります」 「お前な」 「でもね、きちんと約束守って昼休憩に開けたら、十億冊でも百億冊でも売れるしベストセラー作家の未来が約束されるから」 「わかった昼まで開けないっ!桜和さん絶対に開けないっ!よしっ、大富豪になって贅沢しまくるぞーっ!」  笑って言いながら、ふと頭を過った映像は。 (……あ?)  脳内で再生される冴弦の姿。先ほど、冴弦は確かキッチンで――。 「冴弦、さっきキッチンにいる時、何か入ったタッパーを紙のランチバッグに入れてなかった?何あれ?」 「弁当」 「誰の?」 「おれの。タッパーは今度何か美味しいもの詰めて返すね」 「おう、期待してる。――じゃなくて、お前弁当って必要?今日は家でコラム仕上げるんだろ?」 「桜和さんの分だけ作るんじゃさすがに材料もったいないでしょ」 「てことは中身は」 「なんと!」 「なんと?」 「桜和さんとお揃いです♡」 「マジ⁉すげえ嬉しい‼――なんて言うと思ったかバカタレ‼」 「痛いっ!」  桜和は冴弦の脳天にチョップした。冴弦が捨てられた子犬のように桜和を見てくる。 「お前たまに昼飯とかSNSにアップしてんじゃん!まさか今回の弁当もやろうと思ってないだろうな!」 「今日のアップしたらダメ⁉」 「ダメに決まってるだろ!」 「どうして‼」 「こっちは麻薬探知犬みたいな人物がいる職場に行くんだぞ!女の勘は舐めてるとマジ怖いんだからな!何かの拍子にバレたらどーすんだよ!」 「おれが嬉しいよ⁉」 「バカタレっ‼」  もう一度、今度は渾身の力で冴弦の頭にチョップをする。冴弦は本気で涙目になっているようだったが、構っていられない。 「今日の昼飯はSNSにアップすんの禁止だからな!いいな⁉」  腹の底から声を出して言い切った桜和は、冴弦の胸ぐらを掴み、ぐっと引き寄せるとその唇に無理やり唇を押しつける。そしてべりっと引き剥がして玄関の方を向き、 「いってきますッ!」  そう言い残し、ドアを開けて外へ出た。一応、外から鍵を閉める。――〝追いかけてくるな〟という意味も込めて、わざと大きな音を立てながら。 「……ったく」  ぼそりと低く呟き、桜和はその場にしゃがみ込む。それからくしゃりと前髪に指を入れて乱して。 「中身お揃いとか――、俺だって嬉しいわっ」  一言吐き出すように言ってから立ち上がり、乱した前髪を整えつつ、ふらふらとエレベーターホールに向かって歩き出したのだった。 *     *     *  桜和さん、という書き出しで始まるメモ用紙。桜和はその特徴ある文字を、もう数十回は読み返していた。 〝桜和さん、お疲れさまです。弁当食べて元気になってください。残りの時間も頑張ってね。おれも頑張ります〟  桜和は感動で震えてしまった。 (愛だ……‼)  そう思いハートマークの雪崩に埋まる。メモを読んでは雪崩に埋まり、をずっと繰り返していたのだが、そろそろ目の前の弁当箱の蓋を開けようと我に返った。  バイト先の花屋の休憩室は狭い。店舗自体もそんなに大きくはないが、休憩室内には長テーブルと二つのパイプ椅子があり、反対側の壁際に四人用のシステムロッカーがある。そのため、誰かが休憩中にロッカーに用事がある時は、謝り倒して椅子から退いてもらわないといけない。それを踏まえ、今日は他のスタッフに「飯食いながら来月のディスプレイ案まとめるんでなるべく来ないで欲しいデス」とあらかじめ断って人を寄せ付けないようにし、考えるふりをしつつ休憩室に入った。そして長テーブルの隅に置いてある小さい電子レンジで弁当を温め、店の裏手にある自販機で買っておいたお茶も置き、念のために〝話しかけないでください〟オーラまで出した。準備は万端だ。 (さて)  桜和はひとつ咳払いをして。 (桜和さんのご褒美たーいむっ!)  胸中でカウントダウンをして弁当箱の蓋を開けた。 (うわ…っ!)  桜が舞っていた。白米の上に、桜でんぶの桜の華がちらほら。そして見るからに美味しそうなおかずの数々。 「………………」  しばらく見入っていた桜和ははっとして、慌てて口元のヨダレを拭く。 「えとっ…いっ、いたっ…いただ、い、いただきますっ!」  手を合わせて挨拶はしたものの、食べてしまうのがもったいないような気もする。この弁当は冴弦の愛情の塊だと思う。桜和は心底今の幸せに感謝した。 「そーだ」  もちもちと携帯を取り出し、とりあえず数枚、と弁当の写真を撮りまくった。それからもう一度手を合わせ、「いただきます」と挨拶をして箸を取る。 (こんな気分を一週間も味わえるのか)  自然と漏れる笑み。それにしても、初日からいきなり見た目のクオリティが高い。しかも使った食材は桜和宅の冷蔵庫の中にあるものだけだ。その食材は冴弦が買って来てストックしておいてくれた物だが。 (あいつ、これ作りながら俺のこと考えてたんかな)  そう思うと心がじわりと温かくなり、くすぐったい。――何度も言うが、『愛』だ。 「お、玉子焼き♡」  桜和は始めに玉子焼きを頬張る。そしてぷるぷると震えた。見た目だけじゃなく味も最高である。 (俺の好みの味付け、なんでわかっちゃうかなあっ)  それも愛なんだろうなあ、と頷きながら、次にほうれん草の胡麻和えに箸をつけ――ようとした時だ。テーブルに放置しておいた携帯が震えた。誰かのメッセージを受信したらしい。 (――)  期待を含んで携帯を手に取り、画面を覗き込む。 「なんだ欣也かよ」  ぼそ、と呟いた自分の声が地を這っていて笑ってしまった。メッセージの送り主は同じアマチュア吹奏楽団に所属している大槻欣也(おおつききんや)で、内容を読んでみると、用件は以前約束したサシ飲みに関しての話だった。 「……」  桜和は返信をする前に、先ほど撮った弁当の写真だけを送信する。なんて返事がくるだろう、ときんぴらごぼうを食べていたら、いきなり電話がかかってきた。欣也からである。 「ほい、桜和さんです」 〈どもども欣也くんですーっ。えーっ!今日弁当作ったの⁉その弁当作りはどんな話のネタになんのーっ⁉〉 「…………」  欣也は爆笑していた。桜和が料理ができないのを知っているのに失礼なやつである。 「ネタじゃねえし俺が作ったんじゃねえよ。お前俺の料理の腕知ってるだろ」 〈じゃあなん――えっ…ああああああっ、もしかしてそーゆーことぉっ?〉  桜和と冴弦の関係も知っているうえ、勘の良い欣也はすぐにピンときたようだ。が、桜和は心の中で一回〝うっさい〟と突っ込む。今はそれどころじゃない。愛情溢れる弁当について語る時間だ。 「どーよ?味見させてやれないのが惜しいけど、味も俺好み」 〈いやあ、すごいね冴弦さん。やるねえ。桜和さん、めちゃくちゃ愛されてるじゃん〉  桜和は嬉しさと照れでうっかり〝なになに冴弦に惚れたのどーなのでもやんないけどだってあいつ俺にベタ惚れだしっ‼〟と叫ぶところだった。しかし、咳払いをして冷静さを取り戻す。 「まあ、うん」 〈幸せを満喫してるねえ〉 「幸せだもん」  桜和は弁当を見つめ、照れながら答えた。そのまま冴弦の笑顔を思い出し、うっかり雪崩れてくるハートマークに埋もれそうになって慌てて口を開く。 「あいつ、一週間毎日作ってくれんだって」 〈えええっ⁉弁当っ⁉〉 「愛だろー?んおおっ、コレうま!♡」  鶏肉とトマトとチーズで煮込んであるそれは、桜和の口にとてもよく合う。咀嚼して飲み込み、もうひと口食べる。何口食べても感動に打ち震えてしまう。 〈――……〉  気がつくと電話の向こう側が静かなので、桜和は首を傾げながらペットボトルの蓋を開け、お茶を飲んでから口を開いた。 「どったの?」 〈ちなみに桜和さんはやったことあるの?〉 「何を?」 〈弁当作り〉 「ない」  きっぱり答えて桜和は笑う。だから料理は壊滅的だと知ってるだろ、と付け加えようとしたが、欣也は絶句したようだった。 「ん?」 〈……いいの?それで〉 「なにが?」 〈……いや……オレも料理するしわかるけどさ、案外大変だよ、弁当作るのって。しかも一週間毎日でしょ?〉 「うん。けどあいつが」 〈や、だからそこがさ、桜和さんのイケナイ癖でしょ〉 「へ?」  思わず聞き返した。いつの間にか欣也の声は穏やかに、けれど真剣になっていて。ふいに、桜和の不毛な片想いの愚痴をずっと聞いてくれ、欣也なりに自虐的になる桜和を止めようとしてくれていた過去を思い出す。 〈甘やかし過ぎる冴弦さんに甘え過ぎる、桜和さんの悪い癖〉  黙り込んだ桜和を思いやるように、ゆっくりと言い聞かせるように、欣也がそう口にした。意味がわからなくてぽかんとしていたら、欣也が言葉を続ける。 〈オレの体験じゃなくて悪いんだけど、高校の時さ、友だちが彼女に毎日のように弁当作ってもらってたんだよね。まあ、ひやかしたオレらも悪いけど、そいつ〝向こうが喜んでやってるだけだから〟とか言っちゃうような感じでさ。照れ臭かったそいつの気持ちもわからなくもないけど、感想も、お礼すら言わなかったって。そしたら、少しして別れてさ〉 「予想通りの展開だな」 〈そいつ、別れる時カノジョに〝人の好意を当たり前のように思ってるとこが最低最悪、救いようない〟って言われたらしくて、しばらく再起不能。慰めるために仲間内で奔走したという青い春〉 「甘酸っぱ。まさに青春だな」 〈でしょ?〉 「そんな甘酸っぱいことが欣也くんにっ」 〈オレの体験じゃないってば。周りにオレの体験談として言わないでよ、特に冴弦さん。冴弦さん通すと全く違う話が事実みたいに広まるんだからっ〉 「だあいじょおぶ、言わねえよ」  大丈夫だから安心しろ、と桜和は繰り返して笑い、心の中で〝うっかり話したらごめんな、しかも若干脚色して〟と付け加えた。ついでにほうれん草を口に入れる。 「まあ、欣也の友だちも若気の至りということで。その点、俺はあいつの作るもんの感想とか――」  はた、と桜和は箸を止めた。 (冴弦の手料理の感想)  自分は、きちんと伝えていただろうか。 (いやいや、伝えてるよな……?ちゃんとお礼も、〝うまい〟って感想も、本人に言ってるし)  そう伝える度、冴弦は嬉しそうに微笑っていたけれども。果たしてそれだけでいいのだろうか。 「おい欣也っ‼」 〈うわ何っ⁉〉  桜和は箸を置いて携帯を両手で握り締める。 「欣也、お前の恋愛失敗談、まとめさせて欲しいんだけどっ‼カッコ悪くて無様なやつ……ってか、えーととにかく今までのやつ全部ねっ‼」 〈桜和さんってオレの恋愛、全部失敗だと思ってる?〉  冷ややかに言われたのだが、桜和は真剣過ぎるほど真剣に焦っていた。何故か不安が拭えないのだった。 *     *     *  何度も自分を励ましながら、桜和は二十時前に冴弦の住む自宅マンションに到着した。冴弦にはすでに連絡済みである。 (ここで俺は進化してみせるっ)  そう決意してしまうほど、欣也から聞いた話の結末は悲惨なものばかりだったのだ。 「冴弦ー?」  合鍵で玄関のドアを開けて入り、きっちり施錠した後、靴を脱ぎながら廊下の奥に声を掛けてみる。するとすぐに足音がしてリビングに続くドアが開き、冴弦が姿を見せて微笑った。 「お疲れさま、桜和さん!」 「お疲れー」  言いながらスリッパを履いた桜和は洗面所で手を洗ってから再び廊下に出た。すると、待っていてくれた冴弦が微笑って両腕を広げるので、その中に飛び込んだ。ぎゅっと抱き締められて。 (あーっ、冴弦だあ)  思わず安堵の溜め息が出てしまう。ぬくもり、匂い、少し癖のある黒髪の感触、桜和を抱き締める腕の強さも、全てが桜和を癒してくれた。 「桜和さん」  柔らかな声音で呼ばれ、身体同士の間に少しだけ隙間ができた。――視線が絡む。桜和は一度俯くようにしてから、心持ち顔を上向かせて目を瞑る。すると、唇に柔らかな熱が触れた。冴弦の唇だ。そのまま軽く吸われて、桜和はうっとりと冴弦に身体を預けそうになった。が、はっと我に返って唇を離す。 「っ、桜和さん?」  冴弦が驚いた顔をしている。 (やべ、不自然だったかな)  そうは思ったが、桜和は笑顔を作ると冴弦の手をさり気なく取り、指を絡めて繋いだ。 「冴弦、昼休憩の時に連絡できなくてごめんな。仕事やりながら休憩、みたいな感じでさ。けど弁当めちゃくちゃ感動した!あんがと!」 「どういたしまして」 「すげえうまかったし!」  話しながら廊下を歩き、リビングへ向かう。桜和はその間、まとめておいた傾向と対策を、頭の中でもう一度確認した。 (えーと……)  昼間、欣也に聞いたいくつもの悲恋がよみがえる。欣也はついでと言わんばかりに友人や、さらには友人の友人の話まで出してきたので本気で怖くなった。ある程度、その時どうしたら良かったのかというヒントは欣也からもらっていたが、桜和なりに考え、冴弦に感謝を示すことにしたのだ。 「えーとさ、あの鶏肉のやつ!うまかった!」 「良かった。あれね、レシピは知ってたんだけど、今回初めて挑戦したんだよ」 「マジ?冴弦天才じゃん?あれつまみにも良さそうだよなーっ。ビールに合いそうだしっ。今度また作ってくんない?」 「いいけど……どうしたの?」 「へ?」  まずい、と思い桜和は立ち止まる。冴弦は勘が鋭い。きっと今視線を逸らしたら怪しまれるだろう。 「え、何が?」 「……そんなに気に入ってくれたの?あの、鶏肉煮たやつ」 「うんっ!」  大きく頷く桜和を見て嬉しそうに微笑う冴弦。桜和はほっとした。そして、ちょうどキッチンの前だったので繋いでいた手を離し、片手に持っていた鞄をひょいっと持ち上げる。 「俺、弁当箱洗うな」 「え?いいよ。おれが洗うから。桜和さん着替えておいでよ」 「や、作ってもらったんだし。洗うくらいやるよ」  桜和は笑ってキッチンに入ろうとして、冴弦の脇を通りすぎた。その時。 「待って」  ――いきなり背後から首根っこを掴まれた。 「うにゃあッ‼」  ぐっと後ろに引かれ、桜和は冴弦の腕の中に収められてしまう。 (まずいっ)  桜和はじたばたと足掻いたが、背後から腰を抱き締められるように冴弦に抱えられ、リビングまで歩かされた。 「座って」  ラグマットに正座して自分の目の前を示した冴弦が、真剣な表情で桜和を見る。瞳は有無を言わせない光で桜和を射貫いた。桜和は頷き、荷物をソファ脇に置いてから、示された場所に冴弦と同じように正座をした。 「桜和さん」 「はい」 「まず、きちんとただいまのキスが欲しいな」  抑揚のない冴弦の口調。怒っているのか、傷ついているのか、それとも別の感情なのかわからない。 「……」  少しだけ。ほんの少しだけ躊躇ったものの、桜和は観念して両膝で立ち、脚を崩して片膝を立てた冴弦の両肩に手を置いた。そのまま唇にそっと自分の唇を重ねる。 「ッ」  とたんにぐっと腰を抱かれて身体が密着した。唇を吸われ、味わうように食まれて。甘いそれに目眩を覚え、桜和は冴弦の両肩にしがみついた。 「…ひづる、ごめん…っ」 「うん」  キスの合間に囁いて、互いの唇を吸い合う。角度を変え、夢中でそれを貪った。そして短く舌を絡めてからゆっくり離す。 「……ごめんな。ただいま」  桜和は冴弦の腕の中で座り込むと、その肩口に額をくっつけ、安堵の息を吐いた。すると耳元で冴弦が優しく微笑い、 「うん、おかえり。それで、今日はどうしたの?どうしていきなり弁当の感想とか、弁当箱洗おうとか暴挙に出たの?」 「……おい、俺が当たり前のことやんのが暴挙なのかよ」 「当たり前?……まあ、そうかもしれないけど。おれがやりたくて桜和さんの世話焼いてるんだし、そもそもそんなことしなくても桜和さんは」 「俺が嫌なんだよっ!」  桜和は顔を上げて冴弦の胸ぐらを掴む。冴弦が目を瞠った。 「桜和さん……?」 「確かにお前はいつも自分がやりたいからって言ってくれるけど、俺だってお前に感謝示したいよ。いつも有難いって思ってるし、嬉しいし。確かにさ、俺は素直じゃねえからうまく伝わらないことの方が多いかもしんないけど、それを当たり前とか思ってほしくねえのっ!」  視界が滲む。それすら卑怯な気がしては桜和は表情を隠すように俯いた。 「お前の好意、当たり前とか思ってないからな!俺はいつでも感謝してる!その度に惚れ直したりも…っ…。それにいつも思ってるよ…っお、お前はっ…冴弦はさあっ…」  桜和は顔を上げると真っ直ぐ冴弦の瞳を見つめた。 「冴弦は俺の自慢で、一番大切で、かけがえのない存在だからな!」  言い終わった途端に気が緩んだみたくなり、瞳からいくつも雫が零れた。顔が熱い。冴弦の胸ぐらを掴んでいた両手は固まったまま、桜和は涙を零し続けた。呆れられただろうか。もしかしなくても引かれているかもしれない。そんな不安もあったが、視線を逸らすことだけはしたくなかった。桜和の気持ちを伝えきったということだけは、わかってほしかったから。 「桜和さん……」  ぽつり、と冴弦が口を開いたのは、三十秒経った頃だろうか。 「なッ…ん、だよ…」 「……………………か」 「え?〝か〟?」 「可愛いっっっ‼」 「へあっ?」  冴弦にぎゅうぎゅう抱き締められて頭に「?」マークが飛んだが、それでも桜和の涙は止まらない。なぜ冴弦に頬擦りされているのかもわからない。ここは冴弦が〝もっと早く言って欲しかった〟とか〝気づくのが遅いよ〟とか桜和に諭してもいいはずなのに。むしろそっちの方を想定していた桜和には状況が飲み込めない。 「もおおおっ、桜和さん可愛いなあっ♡」 「えっ…や、なにっ…?」 「桜和さんの早とちりさん♡」 「うぇ?」  にこにこ笑う冴弦が唇で桜和の目尻の涙を受け止め、指先で濡れた頬を拭ってくれる。そして優しく髪に口づけながら、 「桜和さんが素直じゃない?どこの誰が言ったの。桜和さんほど隠しようもなく感情が表に出る人いないよ」 「で、でも…っ、俺、…伝えんの下手で…っ…いっつも飯作ってもらってんのに、ろ、ろくに感想とか…っ言え、言えなっ…」 「桜和さんはねえ、言葉で言わなくてもきちんと華が咲くから大丈夫♡」 「は、華ぁ?」  訳がわからなくて涙が止まった気がした。つい「お前大丈夫か?」まで出そうになり、すんでのところで言葉を飲み込む。よく考えてみたら冴弦のこれは通常運転だ。しかし褒められているのだろうかと悩んで黙っていたら、冴弦が少し困ったように、しかし嬉しそうに微笑って優しくキスをしてきた。 「桜和さんはおれの料理食べると〝うまっ!〟って言って微笑ってくれるでしょ。それ以上に感動しすぎると、何も言えなくなって無言でぷるぷる震えてるでしょ。気づかないだろうけど、表情や背景に出てるから」 「背景?」 「おれはね、桜和さんがおれの手料理食べる時、周りに色とりどりの華が咲いてるように見えるんだよ」 「ら、ラフレシア?」 「どうしてそれ選ぶかな。色とりどりのラフレシアなんてちょっとアレじゃない?」  想像したくないよ、と冴弦が苦笑して桜和の頬にキスをくれる。桜和は自らも冴弦の唇にキスをおくり、その澄んだ瞳の奥を見つめた。静かな光を湛える冴弦の瞳が愛おしそうに桜和を映している。 「桜和さんがおれを甘やかしてくれてるのはわかってる。おれが桜和さんの世話を焼きたいから、だから何も言わないでやらせてくれてるでしょ。……まあ、最初の頃はいろいろ抵抗されたけど。今も嫌がられるけどね。でもさ、桜和さんの世話を焼くのがおれの癒しだから、ってきちんと話してから、渋々やらせてくれるようになったよね。照れてるのかなっておれは勝手に思ってるけど」  言いながら冴弦が苦笑を堪えるようにしている。――あっさり図星を刺さないで欲しい。 「だけど桜和さんはやられっ放しじゃなくて、してもらった後とか必ず〝ありがとう〟って言ってくれる。桜和さんがおれに微笑う時、〝ありがとう〟も〝嬉しい〟も〝ごめんなさい〟も〝愛してる〟も全部含まれてるって伝わってるから。おれが仕事なんかで本気で死んでる時は、おれのこと今以上に全力で甘やかしてくれるし。おれはそういうのが死ぬほど嬉しい」  そこで言葉を切る冴弦。全力で甘やかしてるのはどっちだ、と言いたかったが、涙が先に零れてしまって言葉にならなかった。そんな桜和の片頬を冴弦が掌で包み込んでくれる。 「だからさ、桜和さんからの〝うまい〟も〝ありがとう〟も、おれは毎回受け取ってるから安心していいからね」 「でもっ……俺は言葉にして伝えたい。これからはもっと言葉で伝えるからな……っ」 「うん、ありがとう」  笑顔で頷く冴弦に、額、瞼、鼻の頭、頬、と順番に口づけられて。桜和はくすぐったくて小さく笑う。視線を上げると冴弦と視線が絡み、二人で微笑い合う。 「おれの手料理を食べた時に咲く華も嬉しいけど、おれに向かって咲く桜和さんの笑顔の華が何より嬉しいよ」  冴弦が楽しいナイショ話のように囁き、桜和はぎゅうっと抱き締められた。そして、二人でこの愛しい関係を始めた当時からの約束を違えることなく、冴弦は桜和が泣き止むまでずっとキスおくってくれたのだった。 *     *     *  明かりを消した部屋。枕元のテーブルランプだけを灯し、なだれ込んだベッドの中。冴弦がくれる愛撫は愛情に溢れ、そのくせ淫猥で、桜和の理性はあっという間に蕩けていく。 「あっ……んっ、んん……っ」 重なり合い触れ合う素肌は甘く火照り、先ほどから冴弦の昂ぶりに擦られているナカは、冴弦のそれを離すまいと悦んで締めつけ、絡みついていた。 「んッ…ンぁ、あっ…ん、ふッ……」  舌を絡ませ、唾液を啜り合う。口内の唾液を飲み込むとまるで媚薬のようで。見上げた冴弦の瞳に囚われたまま、桜和は全身を痙攣させて極めてしまった。 「かわい…っ…イッちゃった……?」  動きを止めた冴弦が小さく笑って囁き、ちゅっと唇を吸ってくる。それから目を細め、桜和の耳に唇をそっと触れさせた。 「ドライでイッたんだね。ナカ、まだビクビクしてるよ。……あー、もう、そんなにいじめないでってば」  まだイキたくないんだから、と顔を上げて困ったように微笑う冴弦。いじめてるつもりなどないのに、と桜和は戸惑う。戸惑っているうちにしっとりと口づけられた。唇を吸われ、食まれて、それだけで桜和の腰は勝手に揺れ、同時にナカの冴弦を擦り上げてしまう。 「こら、桜和さんっ……」 「だ、……って……」 「もっとして欲しいの?」 「…………」 「ん?」  桜和は冴弦から視線を逸らし、しばらく口を噤んでいた。――けれど。 「……もっと、っつーか……いっぱい」 ぼそりと呟いた。少しして、ほう、と冴弦が熱い息を吐いたので視線を向けたら、額にキスをされた。次に瞼、頬。触れる冴弦の唇が熱い。 「いっぱいしてあげるね」 身体を起こした冴弦が腰を引き、そして再び打ちつける。繰り返される律動に桜和の官能が痛いくらいに刺激される。 「あっ、あっあ、んぅ……冴弦…っ、あ、んんっ……」 「桜和さんッ…、んッ、……大好きだよ、桜和さん…っ…」 胸の突起を指で弄られ、舌でねぶられ、胸板をきつく吸われて痕をつけられる。その間も冴弦のモノはナカを擦り、桜和を翻弄する。そして桜和が達する度に冴弦は、独占欲と、欲情と、愛情が混ざった色香漂う表情を見せた。――きっとそれは、桜和しか知らない顔。 (もっと)  もっと欲しい。 (冴弦の、全部)  意識的にナカをきゅうっと締めると、冴弦が眉根を寄せて小さく呻く。が、すぐにふっと短く息を吐き、少し笑った冴弦は桜和の瞳を覗き込んできて、 「煽ったのは桜和さんだからね?」  色香の滲む声音で言い、桜和の腰を抱え直した。――そして。 (あ――)  熱の塊が。 「あぅっ…アッ…!」  ぐっと奥に入ってきたと思うと、最奥を的にされる。一番の弱みを擦られ、突かれて、桜和の身体を次々と淫靡な感覚が駆け廻る。身体の奥からスパークしたようなそれは桜和自身ではコントロールできず、止めることもできない。ただただ高みに連れて行かれ、悦楽に飲まれ絶頂を迎える。そしてそれを繰り返すのだ。 「ンンッ…ッ、あ、アアっ、やあっ…あっあっ…や、だッ……」 「イヤじゃ、ないよね?……おれのぎゅって嬉しそうに締めつけて…っ…腰、やらしく動いてる…っ」 「アッ、んぅ、ああ、あっ……!……あ、あんっ…あぁっ…」 「ほら、またイッちゃった。気持ちいいね?」  がくがくと悦楽に痙攣する身体。冴弦が顔を埋めた首筋が、ちくりと甘く痛む。――桜和が誰のものか知らしめる、痕をつけるその行為に想いが溢れてしまって。 「ひづるっ……もっと、いっぱい愛して…っ…」 冴弦が与えてくれる快楽も、愛情も、幸せも、総て受け止めたいと思ったら涙が溢れて止まらなくなった。泣きじゃくり、喘いで、愛しい冴弦の名を呼び絶頂を極めて。正気に戻って思い出したらきっと卒倒してしまうけれど、それでも冴弦の腕の中ではできる限り素直な自分でいたい。きっと、どんな桜和でも冴弦は傍らにいてくれるから。 「ン……う、あッ、ああっ……!イイ、っ……んンっ……きもち、イイッ…ん、っ…もち、イっ……」 「またイッてるっ……可愛いね…っ…もっと、いっぱいしてあげるからね……っ」 冴弦の腰がさらに深くを抉るように打ちつけられ、桜和は嬌声を上げる。確かに達したのにそれが終わらない。ずっと極めている感覚が続き、桜和は冴弦の首に両腕を回ししがみついた。 「ああっ、あうッ……気持ちっイ…ッ…イイ…ああっ…冴弦、ひづるっ…」 「…はるか、さんっ……」 「んッん、ああっ……冴弦、愛してる……っ」  桜和は何度目かの絶頂を前に、もう限界だと訴えるように大きく首を横に振った。すると冴弦が、今にも爆ぜそうな桜和の昂ぶりを握り、擦って刺激を与えてきた。 「んンぅ…っ…あ、あっ…イク、冴弦っ……イク……!」 「まだだよ」  桜和の昂ぶりから手を離す冴弦。滲む視界の中、桜和が冴弦を見つめると、冴弦がふわりと微笑う。 「一緒に、ね」 囁きと共に息が止まりそうなほど抱き締められる。桜和もすぐに抱き締め返した。次の瞬間襲ったのは、最奥を突いた冴弦の陰茎が与える、それまでにない深い快感と、溶けてしまうかと思うほどの甘い目眩。惑乱したように冴弦を呼び、熱い楔に終わりがないかと思うほどの愉悦を呼び起こされて、追い詰められる。 「ひづ、…っ冴弦、あっ…あんっンッ…冴弦…冴弦ッ……!」 「桜和さん…っ、桜和さん、出すよッ……」 「アっぅ、冴弦っ……ひづッ…るっ…!」 「んッ、…っう」  びくり、と桜和の背が弓なりに跳ね、身体が痙攣して昂ぶりから熱い想いを吐き出した。同時に身体の奥に冴弦のものが放たれたのがわかった。 (熱い)  一瞬、溶け合い冴弦と一つになれたのかもしれないと錯覚するほどの――。 「…っ…大丈夫……?」 少ししてそう聞かれ、桜和は我に返って頷いた。身体はまだ小さく震えていたが、息を整えながら冴弦と何度も口づけを交わす。桜和から舌を絡ませると冴弦も応えてくれ、しばらく互いの唇を堪能し、そしてゆっくりと離した。 「愛してるよ、桜和さん」  そう言って微笑う冴弦に笑みを返し、桜和はその唇に短くキスをした。 「俺も、愛してるからな」  冴弦がふわりと微笑う。  そしてどちらからともなく交わした口づけの後に、桜和から二回目をおねだりして、冴弦を驚かせ、さらにあり得ないほど喜ばせたのだった。 *     *     *  翌朝。  冴弦、と桜和は声を掛け、リビングの窓際に行くと遮光カーテンを開けて朝の光が部屋中に行き渡るようにする。それからサービスルーム内にあるベッド脇にしゃがみ込み、ベッドの中で眠る冴弦の少し癖のある黒髪を梳いた。 「ん……」 「朝。起きろよ」  桜和は顏の横に落ちた髪を耳に掛けると、まだ瞼を閉じている冴弦の顔を覗き込み、その唇にそっとキスをした。これで目覚めたら冴弦のことは今日一日プリンセスと呼ぼうと思う。 「ン…んー……?」 「くっそ、起きねえな。ひーづる、時間だぞ」  笑いながら冴弦の前髪を軽く引っ張る。すると冴弦がうっすらと目を開けた。 「ほら冴弦っ、起ーきーろ。今日お前はバイト!」 冴弦の知り合いが経営しているというトラットリア。冴弦は今日、そこの昼出勤日なのだ。 「桜和さん……?あれ、もう着替えたの?どうしてエプロンしてるの?」 「どうしてでしょうねえ」  桜和はくすくす笑ってわざと誤魔化す。ベッドに頬杖をついて冴弦の顔を眺めていたら、伸ばされた冴弦の手が桜和の頬に触れた。冴弦は半分寝惚けた目で微笑んで、 「似合ってる。襲っちゃいそうだよ」 「昨夜のじゃ足りなかったのかよ」 「足りなかった♡」 「っこら引っ張り込むなッ!」 「痛っ‼」  危うくベッドの中に引きずり込まれそうになり、桜和は冴弦の頭に拳をめり込ませた。冴弦が枕に頭を埋めるようにして呻いている。 「舟幽霊かお前はっ。――てかマジで起きろ」  桜和が立ち上がるとようやく冴弦がベッドから這い出てきた。そして桜和をぎゅっと抱き締め、キスをくれる。 「おはよ、桜和さん」 「はよ。冴弦、シャワー浴びるだろ」 「うん、そうする。桜和さんお腹空いたよね。すぐ戻って朝食作るからね」  そう言って欠伸を噛み殺してシャワーを浴びに行く冴弦。その背中を見送るのもそこそこに、桜和はキッチンに行くと気合いを入れ直した。  ――そして三十分後。 「どうしたの⁉」  リビングのローテーブルの上。用意しておいた二人分の朝食を見て、身支度を整えて戻ってきた冴弦が本気で驚いていた。 「浴室出たあたりからなんかいい匂いしてるなとは思ってたんだけど……桜和さん、これ」 「いーから座れ」  桜和は照れからぶっきらぼうに言い放つ。素直にソファに座った冴弦の目の前にインスタントのコーヒーを置き、桜和も斜め向かいにクッションを敷いて座った。 「すごい、桜和さんが作ったの?」 「トーストとサラダとスープと目玉焼き。あ、あとコーヒーな。冴弦みたく豆から淹れられたら良かったけど、よくわかんなかったからインスタントのやつ。こんなメニューで悪いけどさ」 「何言ってるの、十分だよ!」 「んじゃ食おうぜ」  桜和は半ば呆然とテーブルの上を見る冴弦に苦笑して言う。冴弦は本当に泣きそうなほど感動してくれているのだ。複雑な心境ではあるが喜んでいるのだからよしとする。が、冴弦の表情が見る見る曇りだした。と思ったら、深く長く溜め息をつく。 「どどどどーしたっ?」 「……桜和さんに一週間弁当作るって宣言したのに、今朝は作れなかったうえ朝食作ってもらっちゃった……」 「それはしょうがねえじゃん、昨夜お前、すげえ眠そうだったし。そもそも寝たのが遅かったしさ。早起きは厳しかったろ」 「そうなんだよね、眠かった!でも最高に幸せだった!昨夜の桜和さん、甘えてきて可愛いしでもむちゃくちゃ色っぽいしおねだりがエロくてさ、おれすっっっごい昂奮して気持ち良くて何回も桜和さんのナカに出」 「うるせえッ!」 「痛っ!」  昨夜の情事について大声で語りつつ悶える冴弦の頭を平手で殴り倒して黙らせる。頭のネジが何本緩んでいるのか。きっと昨晩シメ忘れたせいだ。 (俺も訳わからないくらい幸せだったなんて絶っっっ対言わないけどな!)  言わない、うん言わないぞ、と胸中で強く誓う。 「ほら食うぞー」  冴弦にじっとり見つめられている視線を感じるのだが――きっと殴ったことに対する抗議だろう――、桜和は素知らぬ顔で「いただきます」と挨拶をするとトーストにかじりついた。それから会話の少ない朝食を終え、冴弦が本格的に出掛ける支度を始める。だんだんと仕事モードになる冴弦の雰囲気や表情を見るのが、桜和は案外好きだったりする。 「――それじゃ、いってくるからね」  先に家を出る冴弦を見送るため、桜和は上がり框に立っていた。靴を履いてくるりと振り返り、桜和に微笑いかける冴弦とちゅっと唇を吸い合い、今朝は一旦離してからもう一度触れ合わせた。 「冴弦」 「ん?」 「これ」  桜和は後ろ手で隠していたランチバッグを押し付けるように冴弦に渡す。受け取った冴弦が笑顔のまま、少し首を傾げるようにした。 「なに?これ」 「べっ、べべ、弁当っ」  そう告げた瞬間、固まり、次いで受け取った手の中のランチバッグを凝視する冴弦。桜和は頬が熱くなるのを自覚しつつ続けた。 「お前みたく器用なことはできねえし、ただご飯とかキッチンにあった缶詰のおかず詰め込んだだけなんだけどさ。玉子焼きは作ったけど…急いだから形崩れたし、なんか真っ黒になったけど。でも塩と砂糖は間違えなかったから!だから……あ、店で賄い出るの知ってるしそっちのがうまいと思うけどっ……よ、良かったら、今日はそれ食えよっ」 「…………」 「いらないなら」 「食べるよ‼」  顔を上げた冴弦の真っ直ぐな瞳に、桜和はくらりと目眩がした。 (好きっ……‼)  しかし内心悶えていることなど悟られたくなくて、咳払いをして平静を装う。 「食べてくれんなら、感謝です」 「おれの方が感謝だよ!」  何言ってるの、と呟いた冴弦に腕を引かれ、桜和は抱き締められる。そのまま優しく力が込められる冴弦の腕。冴弦の吐息が耳に掛かってくすぐったかった。 「大切に食べる!」 「おう」 「食べたら感想おくるね!一万文字くらいに収めるようにするから!」 「さすがに長すぎるだろ。五文字以内にしてください」  言って、桜和は笑いながら冴弦の髪に頬擦りした。すぐに冴弦から「なるべく頑張る」と中途半端な了承がきて。 「誰にも見せないから写真撮っていいでしょ?それロック画面にしたい。それからっ……」  それから、と詰まる冴弦に、桜和はさらに笑って柔らかく背中を撫でた。湧き上がる愛しさに、左胸がきゅうっと甘く痛む。 「こんなんで良ければいつでも作るから――朝から泣いてんなっ」  冴弦の背中に回していた腕でぎゅっとその身体を抱き締め、髪に口づけてやった。  詰め込んだものは、真っ白なご飯とありきたりなおかず。そこに幸せをそっと添えて。  けれど隠し味の愛情は、誰にも負けない自信がある桜和だった。
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