序章./『フツー』という名の、定義

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 §  小学生、中学生、高校生、専門学校。  これまで歩んできた、学生という枠内でのレールの上では、多分、『フツー』の道を、  しばしば外れながらも、順当に歩いて来たほうかな、と。  (おおむ)ね自負している。  絵を専攻している専門学校に受かり、受かったけれども、肌に合わずに、  一年未満で退学…。するまでは、少なからずそう、思って、いた。  ・・・・・・自分も、『フツー』になれているかな、って。  ────…幼少期の頃から、物心つくと私はどこか、周りの子たちと違う側面がある自分を、忌み嫌った。  外で遊ぶのはもちろん、好きだし、  お絵描きをすることも歌うことも、園に馴れ出してからは、  友だちの輪を広げ、和気藹々(わけあいあい)とすることも楽しかった。  ・・・・・・ただ、人より馴れるのが遅いだけ、  人より、新しい物事への警戒心が異様に高いだけ。  だから、より慎重になる。  人も、物事も、何事も、自分のなかに飲み込むのに他の、誰よりも時間を懸け、割いてしまう。  それを己の性質と理解して、受け入れてあげるのに、  ────…20年以上もかかった。  泣き虫で、臆病で、なのに頑固で、  …うん。他にもきっと、私のことを見てきた人は、もっと、何かしらの言葉で私を形容するのだろうけれど、  それを言われる度に傷ついて、涙した日もあった。  例え、────あとに、「成長した」という付属の言葉が付いてきても、  イヤなものは嫌に、変わりなかった。  そして、明確に、  同級生とは"一風違う"というところを認識し出したのは、  小学校高学年の年齢になったぐらい。  私は、たぶん、他の同級生と比べ、厳しい家庭のなかで育ったほう。かと自負する。  小さい頃より当たり前のように日曜日は、家族で過ごすけれどもテレビを観ることや、  買い物はしてはいけない。  それが、ルールで、レールだった。  学校の運動会という行事は、当時、日曜日が主流。  私自身、催し事はそれほど好きではなかったし、  それならば、"その頃は"、まだ決められた道の先の、楽しい家族のほうを無意識に、  自分でも選択していたんだ。と、  今では思う。  ────…でも、  それらも、学年が上がっていくごとに、凡ゆる催事や勉学や。  多方面で大人になっていくための、新しい階段がどんどん、用意され増えていく、  強いられる、否が応でも。
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