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飾り気のない夜のこと。
「おねーさん、なにしてるの?」
毒気のない無垢な音色に話しかけられ、肩が跳ねた。しかし、声だけで大体の年齢が予測できてしまったせいか、私の反応はワンテンポ遅れる。
未成年に成人女性の家出を目撃され、その上話しかけられてしまうとは予想外。満月と星空をバックにしても霞むことのない青年に憂鬱な胸中を飲み込んで声を返した。
「未成年と居て問題が起きた場合、責任を取る羽目になるのは成人してる私だから、自分を賢いと思うなら理解を示して早々に立ち去るのが最適解だ」
「なにしてたの?」
「賢くない未成年め。黄昏てるだけだからほっとけ」
「大辞林だと〝たそがれる〟は、夕方とか人生の盛りを過ぎるって意味らしいよ。賢さを競い合ってみよっか」
「ニュアンスでわかるだろ! 物思いに耽ってぼうっとしてたんだよ! 会話から読み取れ! 意趣返しのつもりか、まったく!」
「そうだよ。おねーさん、大正解!」
「小生意気で衒学的な若者め。私はそういう人種が苦手なのに、絡んでくるなよ」
自然に滔々と、私が腰掛けていた木のベンチに適切な距離感を保って座ってきた青年は、隣に座れたことが嬉しいと言わんばかりに頬の筋肉を弛緩させる。私は青年の言葉と態度に、微妙な齟齬を覚えた。
こんな夜更けに見ず知らずの成人した女に絡むなんて、悪い企みを張り巡らせてるんじゃあるまいな。
カツアゲか? 悲しきことに、私の財布のフレンドリストに著名な紙札はいないから無駄に終わるぞ? そもそも財布を忘れたので無一文だしな、ワハハ。
「吃驚するほど全部口に出てたけど、賢い未成年は懐寂しすぎる憐れな大人の独り言を無視するべきかな?」
「未成年と成人の壁を取り払えば君と私の年齢に大差はない。大人を憐れむな」
「言ってることチグハグすぎない? 数分前の発言も家出したの?」
「私は家出したなんて一言も言ってないぞ」
「そう? でも、家出中って顔に出てたからさ」
「黄昏を汲み取らないくせに、なんで家出は汲み取れるんだ。何者だ未成年」
何者だ、とは問うたけど、粋な答えが返ってくることを期待していなかった。
そんな私の思考まで見透かしたように、青年は満点の星屑さえも乗せられそうな長く密度の濃い睫毛を数度羽ばたかせる。
で、次の瞬間───
「俺、幽霊なんだ」
幽霊らしからぬ眩い笑顔で、嘯いた。
静謐な夜半の鼓動は、心地良いまま。凪いていたはずの心の臓が、青年の起こした睫毛の羽ばたきによって、荒野に変貌を遂げる。私の意識は、暗く深い幽谷の中に真っ逆さまに落ちていった。
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