第1話

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第1話

『ゲーム仲間が動画編集者を探してて、翔太のことを話したら会ってみたいって言ってるんだけど』  友人からそんな話が舞い込んできて、井上翔太は居酒屋へとやって来た。  話を持ってきた友人、吉田拓也とともに個室へと通される。座敷に上がれば男5人が既に集まっていた。大学生と思しき青年が3人。働き盛りの営業マンらしき風貌の者が1人。そして伸ばしっぱなしの髪に髭を貯えたジャージ姿の者が1人。  はたから見て、彼らが親しいゲーム仲間だなんて誰も想像できないだろう。  初対面の自分に対して皆が気さくに挨拶をしてくれて、座敷の中央の席へと勧めてくれた。  まだあと1人参加者がいるようだが、仕事で遅れているらしい。ドリンクも運ばれ、「とりあえず始めますか」の一声で新年会を兼ねた飲み会が始まった。  食事も始まると、拓也が早速例の話題を持ち出した。 「動画編集を探してるって言ってたのが、このリョウさん」 「初めまして、渡辺亮です」  斜向かいに座る営業マンらしき男は溌溂とした爽やかな笑みを浮かべた。自分たちと同世代のように見受けられたが7つも年上で35歳だという。企業勤めのかたわら、数年前から動画共有サイトでゲームの実況配信を行ってきた。そして今月末、会社を退職し、ゲーム実況者へと転身するのだという。 「今は自分で編集もやってるんだ。独学なんだけどね。で、その参考にしてる動画の1つが拓也の『ホラーナイト』シリーズなんだ」  挙げられたタイトルは自分が編集を手掛けたものだった。拓也から仕事を受けるようになってかれこれ4年ほど経つだろうか。このシリーズは割と初期の段階で編集した覚えがある。 「テンポもいいし、まとまってるし、それでいてちゃんと面白いし。『こういう動画にしたいなぁ』って思ってやってはいるんだけど、なんかイマイチ思うようにいかなくて」 「それは、具体的に『こうしたい』っていうのがあって、でもスキル的な面でできないって感じですか? それとも形にはできるけど『なんか違う』って感じですか?』 「うーん……強いて言えば、後者、かなぁ」 「なるほど」 「井上君はフリーでやってるって聞いたんだけど、編集の仕事とかしてたの?」 「専門で元々勉強してて、そこから制作会社で働いてたんですけど、その間、友人づてにちょこちょこ仕事をもらうことがあったんです。で、自分の裁量で自由にやる方が割りに合ってるなって思ってフリーになったって感じです」 「そうなんだ。行動力あるね」 「いや、考えが甘すぎただけです。フリーになってから3年は生活もギリギリで。とにかく数をこなしてようやく人並みの生活ができるようになりました。まぁでも、そのおかげで実績も積めましたし、ゲーム実況に関しては拓也のおかげでかなり勉強もさせてもらいました」  今日もこうして声をかけてくれた隣の男を見遣る。聞き手に回っていた相手はハイボールを流し込んでから口を開いた。 「俺、こだわりが強くてめちゃくちゃ無理言ったりしてるんですけど、ちゃんと形にしてくれるんで、コイツのスキルは本当スゴいと思いますよ」  思いもよらぬ褒め言葉に照れていると、渡辺から「もっと具体的な話をしたい」との申し出を受けた。  快諾して連絡先を交換したところで、不意に襖の開く音がした。反射的に顔を上げると、黒のステンカラーコートを羽織った中年男性が立っていた。 「おっ! マコトさん、お疲れ。 待ってたよ~」  方々から「マコトさん」と呼ばれる人から目が離せず、追ってしまう。  周りに促されるまま、彼は俺の目の前の席に腰を下ろした。コートを脱ぎ、スーツ姿になると流れるような所作でネクタイを緩める。ひと回り以上年が離れていそうな相手を無遠慮に見つめ続けていれば、男の目がこちらを向いた。垂れた目の眦をさらに下げ、唇に緩やかな弧を描いて小さく会釈する。柔らかそうなダークブラウンの髪がふわりと揺れた。どことなく漂う哀愁という色気に、俺の思考は停止した。  何事も最初が肝心だというのに、会釈を返すどころか瞬きすら忘れてガン見してしまった。相手は友人達からの質問責めに合い、すぐに視線も逸れてしまう。  左隣にいる拓也の腕を肘で小突く。 「何?」 「……あのマコトさんって人も、ゲーム仲間?」 「あぁ。たまに一緒にゲームやってるんだけど、覚えてない? この間送った動画にもいたはずだけど」  3日ほど前、拓也から依頼を受けて動画を受け取っていた。複数人でワイワイ騒いでいる中に、確かに「マコト」と呼ばれていた人がいた気がする。  グラスを呷りながら、男の様子を覗き見る。みんなと久しぶりに顔を合わせたようで、あっちこっちから近況を尋ねる声が飛んでくる。右へ、左へと振り向きながら、おおらかな笑みを浮かべながら答えている。グラス片手に、気づけば口を半開きにして眺めていた。  程なくしてハイボールが運ばれ、改めて乾杯の音頭がとられた。「お疲れさまっス」と拓也がマコトとグラスを合わせ、その流れで俺もほとんど中身の残っていないグラスを差し出した。 「初めまして。俺、井上翔太って言います。動画の編集をやってます」  先ほどの無礼を挽回しようと、快活に自己紹介をする。相手はやや戸惑い気味にグラスを合わせてくれた。 「中村誠です。編集って、もしかして拓也君が話してた友達の?」  拓也がそれに頷き返せば、男の目が興味深げにこちらを見つめてくる。澄んだ瞳は何を言うわけでもなくただ凝視し続け、だんだと気恥ずかしくなってきた。なかなか離れようとしない熱視線に堪え切れず、俺の方から口を開いた。 「えっ、とー。なんか、アレですか。思ってた感じと違いましたか?」 「あぁ、ごめん。ちょっと、ね。なんかこう、チャラチャラした人かなって思ってたから。こんなスポーツマンみたいな感じだとは思わなくて」  生まれてこの方チャラついているなんて一度も言われたことがない。一体どんな話をしたのかと左隣の相手を睨みつければ、「俺は何も言ってないぞ」と拓也も無言で睨み返してくる。そんな間に割って入るように渡辺が「何かやってたりするの?」と尋ねてくる。 「別にこれといって何もしてないです。ジムでちょっと体を動かしてるくらいで」  日がな一日座りっぱなしでパソコンに向かっていても作業なんて捗らない。適度に気分を切り替え、アイディア閃きやすくするために体を動かす。それが自分には性に合っていた。 「学生時代とかも?」 「学生の時は中高と水泳やってました。高校は拓也も一緒だったんですよ」 「え、そうなの?」  渡辺と中村も目を丸くする。  水泳を始めて、自分は体質的に筋肉がつきやすいことに気がづいた。自然と逆三角形の体型となり、加えて身長も180センチ近くまで伸びた。初対面で会った人には100パーセントの確率で体を鍛えていると勘違いされ、今みたいに「何かしているのか」と訊かれる。  一方の拓也と言えば、同じように体を動かしてもさほど筋肉がつくこともなく、モデルのようなスマートな体型をしていた。 「拓也、お前運動部に入ってたのか」 「言ってませんでしたっけ?」 「言ってないっ。聞いてないっ」  渡辺と中村のリアクションが大きかったためか、周りの人達まで「何だ、何だ」と話に入ってる。拓也が水泳部だったという昔話があっという間に広まったところで、中村が眩しそうにこちらを見ていることに気づいた。  どうかしましたか。そう首を傾げると、相手は「あぁ、いや……」と少し迷ってから続けた。 「学生時代の友達と今もそうやって繋がりがあるなんて羨ましいなぁって思ってね」  意識的に声のトーンを明るくしているように感じ取れた。言葉に詰まってしまった俺の隣で、「たまたまですよ」と拓也はあっさりとした口振りで答えた。 「高校卒業してから連絡も取ってなかったですし」  話しながらタッチパネルを取ってもらうと、手早く飲み物のオーダーを始めた。一緒に俺の分のハイボールも頼んでもらうようお願いする。 「たまたまお互いの需要と供給が一致したってだけで、そこまで輝かしいものでもないですよ」  同意を求めるように拓也がこちらを見てくるので頷き返した。 「ところで、中村さんはゲームの配信ってしてるんですか?」  彼の配信だったらゲームに限らず何でも観てみたい。そんな下心をひた隠しにつつ、尋ねてみた。 「それ!」 「もっと言ってやって!」 「えっ? え?」 「僕はしてないよ」  突然拓也と渡辺が声を上げ、圧に押される俺を余所に中村はのほほんとした調子で答えた。 「オジサンがやってもねぇ」 「そんなことないですよ。誠さん、ファンついてるじゃないですか」 「そんなことないよ」 「そんなことあるんだって! 視聴者から『マコトさん、今日はいないんですか?』って毎回聞かれてんだよ?」 「それはごく一部の人でしょ。そもそも僕、全然ゲーム上手くないから」 「だから、上手い下手とかそんなのは関係ないんですって。人の心を掴めるかどうかっていうのが大事なんですよ。誠さんは丁寧で楽しんでるところがちゃんと俺らにも視聴者にも伝わってるんですから」  誠さんとゲームするの、本当に楽しいんですから。拓也が熱弁をふるい、渡辺は何度も大きく首肯した。  困り果て、眉を垂らした中村がちらりとこちらを見た。面倒事に巻き込んでしまって申し訳ないと気遣うような眼差しだった。  彼を思うなら、助け船を出すべきだろう。けれど、熱量を持って話す拓也を見ていると躊躇ってしまう。  編集の依頼を受けた時、「良いものを作りたい」という気持ちから、熱くこだわりを語ることがある。あの時の真摯な姿が重なる。  中村はきっとそれだけ魅力的な人なんだろうな。そんな風に思えてしまう。 「拓也がここまで言うってことは、本当にセンスがあるんだと思いますよ」  何も知らないというのに、俺までそんなことを言い出したものだから、中村がギョッとして見つめてくる。拓也と渡辺がすかさず「ほらぁっ!」と加勢してくる。 「ちょっ、ちょっと、待ってくれ。みんなしてこんなオジサン持ち上げて一体どうしたの?」 「どうもしてないですよ。俺と亮さんは前から言ってるじゃないですか」 「いやいやいやいや……本当に配信とかするつもりはないから。僕はみんなとたまにゲームができたらそれだけで十分だから」  この歳になっても遊んでくれる仲間がいるっていうだけで本当にありがたいんだ。謙虚な言葉を盾にされ、拓也と渡辺は前のめりになりながらも何も言えなくなってしまう。 「そもそもゲームをする時間が取れない感じですか?」  俺がなおもそう尋ねると、中村は嫌な顔もせず「それもあるかな」と残念そうな顔をした。この飲みの席にも遅れてやって来たし、融通の利かない職種だったりするのだろうか。 「仕事って何されてるんですか?」 「書店員だよ」 「それじゃぁ店員みたいに聞こえるだろ。店長なんだよ、この人」  渡辺が割って入ってきて正しい情報を教えてくれる。 「へぇ、本屋さんの店長なんですか」  本屋なんてここ何年も行っていない。漫画は読むものの、電子書籍を購入している。役職にも就いたことがないので、ぼんやりと苦労も絶えないんだろうなと想像することしかできない。  気の利いた返事を探していることに、中村もすぐに気付いたようだ。 「お察しの通り、書店は今どこも大変でね。僕の所もご多分に漏れず、なかなか厳しい状況なんだよね」 「だったら、どうよ。この際、配信を始めるってのは」  どさくさに紛れて渡辺が誘うも、中村は「だからしないって」と流すように返す。 「今の仕事、好きなんですか?」 「そういうわけでもないんだけどね。大変なことの方が多いし」  どこか要領を得ない。もっと別に理由があるのかと、彼の左手を盗み見た。そこに指輪はない。  奥さんや子供がいるってわけではないのか。それとも離婚歴があるとか。  余計な詮索をしてれば、ようやく注文したハイボールがやってきた。受け取ってそのまま呷ったところで渡辺がまた教えてくれた。 「そう言いながら、女子大生から迫られてるんだろ。この間言ってた娘とは結局どうなったんだよ」  到底聞き流すことなどできないワードの数々に思い切り眉を寄せた。濡れた口元を手の甲で拭いつつ、そのまま塞ぐ。そうでもしないと「その話、詳しく聞かせてもらえませんか!」と俺まで迫ってしまいそうだった。 「……今その話題を出さなくても……」  中村がちらりと俺の顔を見た。初対面の人を前にして、なんてことを言ってくれるんだ。そんな心の声が聞こえてきそうだ。  グラスを握り締めたまま、話の行方を静かに見守る。中村は何も乗っていない己の取り皿へと視線を落とした。気が進まないまま、仕方ないと言わんばかりの調子で話をしてくれた。 「きっぱり断ったよ。そしたら辞めちゃってね。まぁ、仕方がないんだけど……」 「断ったのか。もったいないなぁ。真面目で愛想も良くて、いい娘だったんだろ。胸も大きくて」 「亮さん、そればっかですね」  拓也が盛大に溜め息をついた。どうやら彼も知っている話らしい。 「20も歳の離れた子と付き合えないよ」 「そんなこと言って。本当にずっと独りでいるつもり?」 「そのつもりだよ。独りの方が気楽だしね」  同じようなやりとりをこれまで何度も繰り返しているようだった。中村の話し振りからして、離婚歴があるという線が濃厚だろうか。 「……誠さんみたいな人ほど、女の人の方が放っておかないんだよねぇ……」  隣でぽつりと拓也がそう呟いた。 「井上君は彼女いるの?」  渡辺は話の矛先をこちらへ向けてきた。内心やや辟易しながらも、表情にはおくびにも出さず首を横に振った。 「いや、いないです」 「え、そうなの? 意外だなぁ」  訊いてきた本人だけでなく、中村まで目を丸くしている。 「ルックス良いし、笑顔も爽やかだし、おまけにその体つきだったら女の子の方から声かけてくるでしょ」  悪気もなく、平然と渡辺は話し続ける。いつもなら「そんなもんだよな」と割り切れるのに、今日に限っては中村が、好みのタイプのど真ん中をいく男がいるためにやるせなさが込み上げてくる。 「井上君はモテそうだね」  中村まで屈託のない眼差しを向けてくる。  俺は顔に薄ら笑みを貼り付けた。 「まぁ、たまに声をかけられることもありますけど、困るんですよね。ノンケじゃないんで」 「ノンケ?」  渡辺は今ひとつピンときていないようだった。 「ゲイなんですよね、俺」  そう言い直すと、中村と渡辺が揃って目をぱちくりとさせる。周りの耳にも入ったようで、みなの視線が自分へと注がれる。 「ゲイなんですか?」  1人の大学生から尋ねられて頷けば、「おぉ~」と感心するような声が上がった。「時代だなぁ」「初めて会った」なんて言葉も飛んでくるものの、どれも純粋な感想であることは彼らの表情からも見て取れた。 眉間に皺を寄せて嫌悪感丸出しの言葉を言い放ったり、「俺はそういうの無理だから」なんて自意識過剰な台詞を投げかけてくる者はいない。  みなが飲み食いする手を止める中で拓也だけは出汁巻き卵へと箸を伸ばしていた。事情を知っていることもあり何食わぬ顔で口へと放り込んでいる。こういう友だからこそ、自分やこのゲーム仲間たちが集まって来たのかもしれない。  胸を撫で下ろしつつ、眼前の2人へと向き直る。俯く中村の隣で渡辺は首の後ろを擦っていた。 「そっか、そっか。そうだったんだ。いやぁ、話では聞くんだけど、実際自分の周りにゲイっていなかったからさ。ちょっとビックリしちゃったわ」 「初対面でいきなりすみません。驚きますよね。やっぱり」  話しながら、視線を中村へと移した。手元のグラスを見つめ、押し黙っている。  彼はゲイを受け入れられないタイプだろうか。  万人に理解してもらえるとは思ってはいない。けれど、よりにもよって中村に拒まれるなんて。  胸を押し潰されるような圧迫感に襲われ、何とか肺に酸素を取り込もうとめいいっぱい空気を吸い込んだ。  渡辺が中村の名前を呼ぶと、相手は弾かれたように顔を上げた。渡辺と俺を交互に見る目は落ち着きがなく焦っていた。 「誠さん、どうしたんですか?」 「あぁ……いや。何でもない。何でもないよ、ごめん」  戸惑いに揺れる瞳が俺を映す。どう見ても何でもないようには見えないが、「触れてくれるな」という強い意思が言葉の端々から伝わってくる。 「すみませんでした。突然」 「ち、違うんだ。ちょっと、ビックリしただけで」  取り繕っているのは周りの目を気にしているのだろうか。みなが理解を示しているため、嫌悪を露わにしないよう胸の内にしまおうとしているのかもしれない。  意識して口角だけは上げつつ、唇を引き結んだ。中村は力なく視線を落とすと、再びこちらを見つめてきた。 「……話してくれて、ありがとう」  笑顔を浮かべようとして頬が引きつっている。そのぎこちない仕草が妙に引っかかった。  毛嫌いし、心にもないことを言っているにしては脆く感じるのだ。  相手はそう口にするのが精一杯だったようでまた俯いてしまった。結露し、水滴が滴り落ちるほど濡れたグラスに添えられた手。触れた途端、そこからボロボロと崩れていってしまうのではないか。そんな気がしてならない。  もしかして、この人――。  頭を過りかけた可能性は、腕を小突かれて阻まれた。肩が跳ね上がり、ギョッとして相手を見た。 「どうした」  拓也が怪訝そうに眉を寄せる。 「どうしたって……何もない」  座敷にはいつの間にか和気あいあいとした話し声が戻っていた。そっと吐息し、中村を盗み見ようと目を向けた。けれどそこに人の姿はなく、ぽっかりと穴が空いていた。  慌てて見回せば、閉まる襖の向こうに中村の後ろ姿が見えた。
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