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凛とした佇まいの老婦人が雑誌のインタビューに答えていた。
「意外ですね。レシピは社長が考案したものではない、と。」
「はい。個人でお店をやっていた時は確かに私自身がシェフとして料理を作ってましたし、自分でレシピを考えてました。しかし今全国チェーンで出してる定番メニューのレシピは、すべて別のシェフが考案してくれたものです。商品開発部も期間限定メニューを日々考えてくれてますが、定番を超える味はなかなか出てこないですね。」
「全部ですか。定番メニューもかなり種類がありますよね。」
「ええ、ノート一冊分あります。そのノートは今も大切に保管していますが、店の、いや私の運命を変えてくれた一冊です。」
「どんなストーリーがあったのか聞いても良いですか?」
「お話ししましょう。私は若くて血気盛んだった頃、料理の腕を頼りに田舎から都会に出てきて店を構えました。今考えても無謀な挑戦でしたが、案の定すぐに自信は打ち砕かれました。店は閑古鳥で開店資金はすぐに底をついてしまった。味は悪くなかったのですが、都会での激しい競争に勝ち残ってきたライバル店に比べると汎用な味に過ぎなかったのです。しかし大口叩いて地元を飛び出して来た手前、店を畳む判断もできずに苦しい時間を過ごしていました。彼が店に来たのはそんな頃です。
たまたま客として店にやってきた彼は、私の料理を食べたら『もう少し塩を抑えたら美味しくなりますよ』と言ったんです。彼は私と同世代くらいで、どちらかと言うと控えめなタイプだったんですが、他に客もいなかったのでなんとなく話しかけたつもりだったんでしょう。でも当時の私にはプライドがありました。カチンときて思わず『なら作ってみんさいよ』と素の言葉で返してしまいました。お客さんにそんなこと言うなんて、ヤケになってたんでしょうね。彼は戸惑いつつも『それなら』とキッチンに入って作り始めました。そして出来上がった料理の味、今でも思い出します。元が私のレシピとは思えないくらいとても美味しかったのです。私はプライドを忘れ、なりふり構わず彼にさらなるアドバイスを求めました。
彼は従業員として私の店を手伝ってくれるようになりました。聞けば趣味で料理研究をしてたものの、店をやるほど経験も勇気もなくフラフラとしてたそうです。彼のアドバイスに基づいてレシピを改善したところ、格段に味が良くなって目に見えてお客さんも増えました。売り上げも軌道にのって店は持ちこたえることができたんです。もしかしたらそのまま個人店としてこじんまりとやっていけたかもしれません。でも私は気づいてしまった。私より彼の方が才能があると。私のレシピの改善ではなく、彼自身が考案したレシピの方がもっと売れると。
私は悩みました。私自身、なぜ飲食店をやりたいと思ったのか原点を考えました。お金儲けのためか。自分のレシピを味わってもらいたいのか。答えはそう、美味しいものを食べて人々に幸せな気持ちになって欲しい。これが私の想いです。だから私は、店の味をすべて彼が考案したレシピに刷新することに決めました。とはいえこれは大きな賭けです。彼にも本気に取り組んでもらいたいと思いました。店をゆだねるにあたり、彼にも世の中の人々を幸せにする覚悟を持って欲しかった。一品や二品ではダメ。彼の才能からすればもっとできる。ノート一冊分くらいのレシピを考案できるはず。私は彼に思いの丈をぶつけ、言いました。『店の未来を決める運命の一冊を』と。
1カ月かけて彼は完成させました。ゼロからレシピを作るのはとんでもない労力です。通常ならノート一冊分のレシピなんて数年かかるところですが、彼はやり切りったのです。彼の溢れんばかりの才能が詰め込まれたレシピ集。私は店のメニューをリニューアルし、すべて彼のレシピに変えました。その先の話は皆さまがご存じの通りです。口コミで爆発的に広がり、弟子が増え、支店が増え、チェーン店として拡大し、全国でもその味を味わえるようになりました。私は早々にシェフを引退して社長業に専念し、今に至るわけです。」
「本当に運命の一冊だったのですね。そのレシピを考案した方は、今どうされてるのですか?」
彼女は首を横に振り、遠い眼をして言った。
「レシピを作ったあとすぐに亡くなりました。今でも思い出します。あの一冊を受け取って試しに店で料理を作っていた時です。一通りの味見を終えてこれは絶対に人気が出ると確信し、早く彼に感想を言いたいと、早く彼に会いたいと、そう思ってた時に店の電話が鳴りました。ふふ。私はその頃すでに彼を愛してたのです。でも店の未来が決まるまでは絶対に自分の気持ちを言うまいと決めていました。彼の方がどう思っていたのかわかりません。私の願いを叶えてくれたあの一冊を、彼はどんな気持ちで作ってくれたのか。自分の才能を試す想いだったのか。もしかしたら彼も私に愛情を持ってくれていたがゆえに、あんな驚異的なペースでレシピを考えてくれたのかーーーーそれも聞けずじまいです。店にかかってきた電話は、彼が交通事故で亡くなったことを告げるものでした。」
「きっと彼も社長のことを愛されてたはずですよ。」
「さぁどうでしょう。愛は勘違いとも言いますし、私の勘違いかも。もっとも、彼の味を全国に届けようと躍起になったのも、この年までずっと独身なのも、そんな勘違いの結果かもしれませんけどね。最近は身体の調子もあまり良くないので、天国の彼に会えるのも近いだろうなと思ってます。今度聞いてみますよ。」
「いやいや、まだまだお元気で...」
そのインタビューから程なくして彼女は体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。
青く澄んだ空がどこまでも広がり、柔らかな光がすべてを包み込んでいる。
足下は白い霧のようなもので覆われており、無限の広がりを見せていた。
その中には一人の青年と、若かりし頃の姿に戻った婦人の姿があった。
「嬉れしい。本当に天国であなたに会えた。」
「君の活躍は天から見ていたよ。本当によく頑張ったね。」
「ありがとう。今こそ言えるわ。私はあなたを愛してたのよ。」
「僕も君を愛してたよ。だからこそ、君のためにたくさんレシピを考案したんだ。」
「ああ、良かった!勘違いではなかったのね!」
二人は抱き合って積年の愛を確かめ合った。
「私はあなたの才能と、料理に尽くす真摯な姿にとても憧れてたわ。」
「僕はね。言葉になまりが残るような田舎から来た女の子が、健気に奮闘してる姿に惹かれたんだ。」
「あら恥ずかしいわ。確かに当時はなまりが抜けきれなかったけど、そんなに言ってたかしら?」
照れくさそうにする顔を見つめながら、彼は優しく彼女の頭を撫でた。
そして穏やかな笑顔で言った。
「僕にレシピ作りを依頼した時も言ってたじゃないか。『うんめぇの一冊』って。」
彼女は天国の果てまで響くほど大笑いした。
その後再び彼を抱きしめた。
(おわり)
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