GLUTTONY / curiosity

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「あら」  プラチナブロンドのマルセルウェーブをあしらった美しい女が声を上げる。しなやかな指先に巻かれたシガレットホルダーリングで煙草を吸うその女をこの潜りの酒場、スピークイージーでは皆ローズと呼ぶ。名に相応しくバラのように酒場を華やかにさせる女だった。  ローズは再度手に持つ雑誌を見つめた。 「なぁに?」 「レイがニューヨークを出るらしいわ」 「……レイってだぁれ?」  直線的なボブカットの黒髪を持つ女は間延びした声色でローズの言葉に疑問を投げ掛けた。ローズの隣に座るその女は鏡を覗きながら、耳元の髪の毛をヘアアイロンでカールさせる。  ローズが話題に出したレイという人物には関心が無いようで、細く垂れ下がった眉で彩られた女の顔が鏡を一心に見つめていた。  ローズは今年創刊された『ニューヨーク・ダダ』を手に持っていた。マルセル・デュシャンとマン・レイが刊行した雑誌だ。 「マン・レイ」 「……私、頭悪いからダダってわからないのよね。ピカビアはデュシャンとレイと仲違いしたの? ただ単にダダとは気が合わなかっただけ? ピカビア、急にダダを否定するんだもの。わかんないって」  ローズの話に興味を示さない黒髪の女の隣に座る、異常に短いブルネットの髪の毛を持つ女が声を上げる。  MORE SUSTAINING(肉より継続) THAN MEAT(力あり)、とパッケージに書かれた板チョコレートをぱきん、歯で折り、咀嚼した。その女はニューヨーク・ダダを批判めいた口調で語る。  第一次世界大戦を逃れ、ニューヨークに渡ったデュシャンとレイ、そしてピカビアが中心に活動する反芸術運動をニューヨーク・ダダと呼ぶ。すでにある固定化された概念に対抗することを目的としている芸術だ。フランシス・ピカビアはこの反芸術運動を最近になって否定し始めた。  鏡台の前に座る3人のフラッパーは三者三様にダダを傍観していた。 「デュシャンのレディメイドを見た? 『泉』ってタイトル付けたって要は男性用小便器でしょ?」  チョコレートを噛みながらデュシャンについて批判する、ブルネットでショートヘアの女を皆ヴァイオレットと呼んだ。  ヴァイオレットは芸術を愛しているからこそ、ダダが気に入らなかった。ヴァイオレットとは反対に突如として表れたダダという運動に興味があるのはローズだ。『ヴォーグ』誌が並ぶ楽屋に『ニューヨーク・ダダ』を置いたのはローズだった。  ヴァイオレットの批判に肯定も否定もしなかったローズは煙草をひと口吸い上げ、『ニューヨーク・ダダ』に書かれた文字を読む。   「“ダダはニューヨークでは生きていけない”って書いてあるわ。……残念ね。パリのモンパルナスに拠点を移すらしい」 「そんなことより! 髪の毛上手くいかない! なんでローズもヴァイオレットもそんな綺麗に纏まるの?!」  ローズとヴァイオレットの真ん中に座っていた女は悲鳴を上げた。艶やかな黒髪はそのままでも美しいが、どうにも耳元の毛先をカールさせなければ気が済まないらしい。 「デイジー、あなた不器用過ぎるのよ」
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