GLUTTONY / curiosity

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 ローズも嗅いだことの無い魅惑の香りに戸惑ってしまう。今まで使ってきた香水は単一で具体的な香りであった。ここまで複雑な香りは上流階級と関わりのあるこの3人の女性たちでも経験が無かった。  ローズは慌てて小包に同封されている手紙を開いた。不必要な物は要らない、と装飾を排したココ・シャネルらしく上質で真っ白な紙に達筆な文字が並んでいる。  その手紙にはココの近況情報が書かれていた。パリ、ギャルシュにベルレスピロと名付けた新居を構えたこと。その新居にロシアの作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーを住まわせていること。ストラヴィンスキーを引き合わせてくれたバレエ・リュスの創設者、セルゲイ・ディアギレフのためにバレエ衣装をデザインしていること。  そして届けられた香水のことも書かれていた。調香師のエルネスト・ボーに開発を依頼し、今年の5月にカンボン通り31番で販売する。そして3年後には化粧品と香水のラインを設立させたいとのこと。 「ココの新作らしいわ……。まだ発売前よ」 「……あなた、本当に好かれているのね」  ヴァイオレットが溜め息をひとつ吐きながらデイジーが持っていたチョコレートを奪い返す。歯で器用に折りながらチョコレートを口に含んだ。香水の中にチョコレートの香りが仄かに混ざる。  1918年、17歳のローズは第一次世界大戦が終結したのを目に焼き付けた。そして街が復興するのと同時の一昨年、1919年冬、幼い頃から憧れていたパリを見る為、海を渡った。そのパリでガブリエル・シャネルと顔を合わせたのだ。ふたりはすぐに意気投合。  ローズは物心ついたときからココ・シャネルを知っていた。1915年『ハーパーズバザー』はココを絶賛した。当時14歳、戦時下で、その雑誌を読んでいたローズにとってココ・シャネルは神のような存在だったのだ。   「別にパリでただ話をしただけよ」 「好かれていなきゃ、わざわざパリからニューヨークに荷物を送るなんてことしないわ。……もしかしてその荷物、飛行機で来たのかしら?」 「そうね。多分、コールマンが運んでくれたのよ」  小包を一瞥したローズはそんな冗談を言ってみせる。ローズがおどけてみせるとヴァイオレットがくすり、笑みを浮かべた。──コールマンってだぁれ? といつものようにデイジーが訊いてくる。やはりデイジーはベッシー・コールマンを知らないらしい。  knock knock 「ブルーム姉妹! そろそろ着替えて下さい」  仕事の時間を知らせに来た男性はそう告げるとすぐさま楽屋から出て行く。  チョコレートを食べ終わるヴァイオレットはラックからフリンジで作られた膝上のドレスを取り出す。それを身に付けながら、ラックから同様のフリンジドレスを取り出しローズ、デイジーに渡していく。3人がそのドレスを着用すると途端に踊り子に様変わりする。  ローズは鏡を覗き、スモーキーアイを確認して、最後の仕上げに赤色のリップを塗る。デイジーが頭に飾り付けたヘッドピースをローズ、ヴァイオレットも同じように着用した。   「デイジー、今日はステージで転けないでね」 「分かってる! うるさいなぁ!」  ヴァイオレットはデイジーに茶々を入れながら楽屋を出て行く。続いてローズも『ニューヨーク・ダダ』を本棚に戻して、ステージに向かった。
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