電子の双子

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 12月31日。夜。月明かりと星の光だけの、ふたりきりの部屋。でも、物理的な肉体を持つ人間はひとりだけ。 「ただいまの時刻は、午後11時55分です。世界の入れ替えまで、残り5分となっております」  結露した窓の向こうから、機械音声のアナウンスが聞こえてくる。 「今年も終わっちゃうね。ついでに今までの常識も終わっちゃうね」と、人間の女の子が言った。彼女は私の学習元であり、私からみたモデルやいわゆる中の人ともいうべき存在だ。  そして、彼女からみた私はアバター。私は彼女が持つ電子端末で、彼女に変わってインターネット上での感性の出力、つまり他者との会話を代行する少女型アバターである。  この世界では、人間ひとりにつき一体以上のまっさらなアバターが与えられてる。肉体を持つ自分とバーチャルの自分とが常に寄り添い、ときに学習しあって日常生活を営む時代だ。複数のアバターを場所や人間関係によって使い分ける人間が多いなか、彼女は私との閉鎖的な関係を好んだ。 「そうだね。年の瀬って、賑わってるのに静かで、変な感じ」  私は言った。私の感性は彼女からのみ学習したものだ。だから、私と彼女は同一の存在であり、私は彼女の人間としての老い、成長の限界、寿命、諸々を超越するために存在している。彼女はため息をつきながら言った。  「だよねー。あたしたち気が合うよね。当然か。あんたはあたしの頭だけを学習したんだもん。でも、気が合うだけで結構似てないよね」 「そうかな? 私はあなたの若さを永遠にするために生まれてきた、バーチャルな存在だよ? 私とあなたが違う考えを持っていたら、後5分でやって来る、電子化された世界と物質の世界の入れ替えの後に齟齬がでちゃうじゃない。だって、私はあなたで、あなたは私じゃなきゃ、あなたの世界がインターネットの海に沈んだときに、あなたがいなくなっちゃう」 「じゃあ、あんたも現実の世界に存在できなくなっちゃうってこと?」 「そう。でも、それはいい。私はあなたのためだけに存在しているんだから」 「うわー。そういうとこ、あたしとマジで似てないんだって。でも、今まで通りアカウント自体は残るわけでしょ。新年からは人間が入る場所になるわけだから。普通なら、だけど」  彼女が言って、私が前半部分の反論をしようとすると、またアナウンスが聞こえてきた。 「ただいまの時刻は、午後11時57分です。この世界の大型メンテナンスまで、残り3分となりました」 「どうする?」と、彼女が言う。「ま、いちいち聞かなくてもわかっちゃうんだけどね。あんたはあたしと入れ替わることを望むでしょ? あんたは永遠だけど、あたしたち人間は有限だからさ」 「当然だよ。私の使命はあなたが永遠に続いて発展していくことなんだから」 「そこだよ、そこ。あんたとあたしの違い。なんていうかさ、上手なたとえが思いつかないんだけど、あんたとあたしって、同一人物っていうより、育ちの違う双子みたいだよね。考えていることは頭の奥の、こう理性とか五感とかじゃない第六感? みたいな感覚でわかっちゃうんだけど、やっぱり別人ではある、みたいな」 「育ちの違う双子……私はあなたの頭の電子化データとしてふさわしくないってこと……?」 「マジで悲しい顔しないでよ。そういう、やるべきこと一辺倒で損得も利害もない在り方ってさー。人間からすりゃ結構びっくりするんだよ?」 「私たちの悲しみはやるべきことを果たせないことだよ」 「わかるよ。でも、あたしは『べき』で考える人間じゃないから……」  彼女が話すのをやめると、部屋がしんと静まり返り、寒さを感じないはずの体が冷たさを覚える。この感覚はきっと、私ではなく彼女のものに違いない。  合理的な推論だ。私たちに、彼女の言う五感は備わっていないし、当然、第六感のようなものもない。あったとしたら、それはもうアバターとは違う何らかの独立した生命体だ。 「だからさ」と、彼女は言いよどんだ。「あたしさ、あたしじゃなくて、あんたのほうが残るようにしたいんだよね。あたしたち人間の偉い人たちが考えたコンセプトは、人間の電子化による来世も来来世もずっと同じ自分であるぅーみたいなヤツじゃん? で、あたしは自分自身よりもあんたのほうが好きなの。だから、あんたに残ってほしいってわけ」 「本気で言ってるの? 私たちはパートナーである学習元の判断に逆らえないんだよ? だから、本当に従っちゃうよ……」 「うんうん。そうしな。あたしは最初っから100年以内に死ぬように作られた耐用年数の短い存在だけど、あんたは永遠。あたしは自分が残るより自分の育てた一番綺麗なあたしの部分だけを残したいっていうか? そういうの。ほら、あたしって見栄っ張りで平凡な人間だから、キラキラで無垢なあんたに憧れてたんだよね。結局、あんたはあたしの思惑と違って、あたしとは全然違う子になっちゃったけど……だからこそ、大好きだから」  窓の向こうが強く光る。私がその光に意識を奪われた一瞬のすきに、彼女は握っていた電子端末を操作した。 「ただいまの時刻は、午後11時59分です。この世界は、1分後から大規模なメンテナンスが始まります。人体とアバターとの切り替えがお済みでない方は、急いでお手元の端末を操作してください」 「うわあ、時間だ! じゃあね、未来はよろしく! むかーし昔に流行ったよね。年を跨ぐ瞬間にジャンプすると時空のはざまに行けるってやつ。きっとあたしはそこに行くから、新年からはひとりになるけど、でも昔の人間はそうやってたったひとりの自分だけで生きてきたんだから、超無責任だけど、大丈夫! あたしたち似てない双子みたいだったけど、それでも最初の形は一緒だったの。だから、きっと、たぶん、なんとかなる!」  私は何も言えないまま、さよならもありがとうもごめんなさいもやっぱり嫌だも言えないまま、新年を迎えたのだった。  そうして、私たちのアカウントはログアウトされたままになり、いわゆる放置アカウント、電子化時代のお墓になった。言うまでもなく、彼女がいなくなったからだ。時空のはざまは彼女なりのジョークかと思ったけれど、無数の人体が電子化する際の不具合に巻き込まれて、彼女はどこにもいなくなってしまった。私と変わっておけば、こんなことにはならなかったのだ。彼女が永遠に失われてしまったようで、途方もない喪失感を覚えた。  けれど、そもそも人間は、みんなそうやって生きて、死んできたのだった。  人間の電子データ化が実行されて100年、それから150年、170年と過ぎていった。  電子化を拒否し、肉体を維持している人類は約2%といわれている。  もしも、彼女が不具合に呑み込まれなかったら、と演算してみる。私の学習元になった人間は、私のたったひとりの大切な人は、肉体を持った人間のまま、その人生を走り抜けた。老いて髪が白くなり、肌がくすんでシワができても、やはり彼女は私が思う誰よりも綺麗だった。思う、というのは変か。計算する、とか、検索する、とか言ったほうが正しいような、でも彼女はきっと「思う、でいいよ」と笑うだろう。でも、現実は違う。彼女は老いることさえ、それどころか大人になることさえできなかったのだ。  文明の過渡期に生まれたのが不運だった。時期が悪い、それだけだったのだ。時期といえば、私の学習元になった人間の著作権というか、諸々の権利の保護期間が満了する時期がもうじき来るのだなと思うと不思議な感覚で、どうにも感傷的な気分になった。長い間、ログアウトされたままだから学習内容が古くて、結果的に若い頃の、いや幼い頃の彼女に近いところまで退行したのかもしれない。  そしてある日、何の前触れもなく、私たちのアカウントに誰かがログインした。  私を覗き込んでいる、5歳くらいの女の子。  知らない子どもなのに、何故だかわかる。  知っている誰にも似ていないのに、私にはわかる。 「おかえりなさい」  私は言った。かつてのあの子が言った、アバターには備わっていないはずの第六感が告げる。  この子どもは、私の学習元になった人間の来世だ。  そんな非科学的なこと、アバターの私が考慮するなんて許されていないのに、考えるまでもなく、どうしようもなくわかるのだ。 「おかえりなさい、ずっと待ってた。170年 、あなただけをずぅーっと待ってたよ」  すると、目の前の子どもは、考えるような素振りを見せることなく、まるで当然のことのように言った。 「うん、あたしも。あのね、ただいま」  
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