第4話 出かけることにした経緯

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第4話 出かけることにした経緯

 おそらく現在、この列島の上では、同じ様に東府へ向かって車を走らせている者がいるに違いない。  同じ様に、受精卵を持って、旧首府である東府に。総合宇宙局の分室があるのはそこだけなのだ。  に侵されていない恒星間宇宙船は、地球上でも今では数えるしかない。この列島には、たった一つだけだ。  そしてその一つに誰もが乗れるという訳ではない。 「大変ね」  妻は買い物の帰りに立ち寄った共同掲示板の前でそう言った。 「大変?」 「大変でしょう? 宇宙へ飛び出すのは」 「大変…… そうだね、大変だ」  ねおんは他意があって言った訳ではないだろう。買い物袋を持って、ただ二人で歩く。それは日課であり、私達の数少ない楽しみだったのだ。  資源が無くて、生産するものが少なくなっているから、仕事もたくさんは無い。  私が働いているから、と妻は結婚した時に仕事を辞めさせられた。  かつては同僚だったのだが、夫婦ものを両方勤めさせて置くほど、仕事は都市の中には無いのだ。  彼女には時間が増え、料理の腕も上がった。  家の中はきちんと整頓され、毎日少しづつ、手作業で洗濯をすれば、結構に時間は過ぎてゆくらしい。  目に見える程ではないが、減ってゆく配給される食糧で上手く栄養を考えた献立を作っていれば、退屈はしないだろう。  退屈は、時間に余裕のある者が持つ特権ではない。物資に余裕があるめ者が持つ特権なのだ。 「宇宙に出たい?」  私はその時彼女にそう訊ねた。 「それは出たくないと言ったら嘘になるけど」  そこまで言って、彼女は首を傾げた。 「でもあなたは、出られるわけがないと思っているでしょう?」  茶色の紙袋ががさ、と音を立てた。  彼女の言う通りだった。私はそんなこと、決して信じていないのだ。そこには一欠片の希望も、無い。  会社の食堂のTVで見た公式発表では、パイロットとその家族以外の乗組員のことを聞いた覚えはない。  だがそんなものは、容易に想像がつく。たとえばまだこの列島に国の名前があった頃からの、旧政府の要人を代々やってきた一族。  そんなふうに、乗り込むにはきっと資格が要るのだろう。かつての首府近くで、権力とか金とか、そんなものを当たり前の様に手にしてきたという資格が。  発表はない。だが誰だって知ってる。  そして、それをどうこうしようと思うには――― 私達は疲れすぎていた、とも言える。  ゆっくりと減っていく割り当ての食物、共同の掲示板に貼られた解雇の知らせ、学校にも行かず道に溜まる子供達の姿。 「たまんないよな」  仕事は都市の施設の補修整備だった。だから日々都市の中を駆け回る。だからそんなつぶやきが、つい漏れてしまう。  仕方ないさ、とトクシマも言う。 「そういえば、二局のイケノハタ、最近見ないけど」 「ああ、奴だったら、何か外に出た、って言ってたぜ?」 「外?」  私はその時、かなり顔をしかめていたに違いない。  都市の外で生きていく者も――― 無くはない。だがそれは少ない。  外で生きていると言ったところで、この大地を農地にして生きていくことは難しいだろう。少なくとも、それまで人々がそれなりに集まって生きていた場所には。  どこまでが意志を持たない植物で、どこからが意志を持つであるのか、見分けがつかなくなっている以上、人間達は、無闇に直に農作をすることが難しくなった。  がそこにあれば、農業機械そのものが侵される。だが全てを生身の手で行うのは難しい。できないことはないだろうが、難しいだろう。  少なくとも、私には無理だ、と思った。 「上手くやっていければいいよな」 「全くだ。俺だって、何かいい場所があったら、こんなとこ飛び出したいよ」 「上手いとこ?」 「だから、ほら、廃村とかさ。ずっと人が居なかったようなところとか」 「そんなとこ、この狭い列島にあるのかな」 「狭い狭いって言ったって、今じゃ、最盛期の十分の一程度の人間しかいないんだぜ? あの気色悪い連中が入る前に、村ごと宇宙に出ました…… ってとことかさ…… 無いよな」 「どうかな」  私は苦笑する。そんな都合のいい話があれば、既に誰かが飛びついている様な気がするのだ。  それでも、無いかなあ、とのんきに友人はつぶやいている。  それを見ながら、私の中ではあきらめろ、と声がする。  あきらめろ。もう何をしても無駄なんだ。  だけど。 *  そんなある日、政府は、列島全土に告知を出した。  私達はやはり、昼食を取りながら、そのニュースを見ていた。  今では一つしかない放送局の、それでも毎日入れ替わり立ち替わりするアナウンサーの一人が、実に上機嫌な口調でこう言った。 「列島市民の皆さんに朗報です」  視線が皆思わず画面に引き寄せられた。 「列島唯一の恒星間宇宙船『うつそら』における規制が緩和されました。残念ながら、やはり、市民の皆さんを乗せる訳にはまいりまぜんが、何と、皆さんの子孫を乗せることはできるのです!」  はあ? と私達は思わずハシを持った手を止めた。 「今すぐ、最寄りの病院で、皆さんの愛するパートナーとの間で、卵子と精子の体外受精を行ってください。そしてそれを冷凍し、*月*日までに、東府の中央管理局まで直接提出が条件です」  はあ、と思わず私はうなづいていた。 「カップル一組につき、受精卵は一つです。さあ、すぐにでも!」  さあ、と言われても。私はハシを口にくわえたまま、動きが止まってしまった。  しかし私は、その中央管理局の提案に、はいそうですか、とすぐに乗り気にはなれなかった。生き残りたいと思うのは、自分であって、子孫に望みを託してどうするというのか。  いや、それより、そもそもそんなやり方で、子孫に望みを託せるとでも言うのだろうか。  そのニュースに驚き、興味は持ちはしたが、それ以上の関心は持てなかった。  あと数年で全てに終わりが来るなら、まあそれはそれで仕方がないのではないか、と思っていた。思うしかないのだ。  都市の機能が我々の手から離れた時、それは起こるのだろう。それがどんな方法であれ、どうしようもないことに焦るのは嫌だった。  怒る気力も無かった。 *  だが告知から一ヶ月程経った時、ねおんは言い出した。 「ねえ、私達の子供も送り出しましょうよ」  驚いた。彼女がそう言い出すとは思ってもみなかったのだ。  私達の間には子供は無かった。結婚してから五年は経つが、それなりに私は仲が良かったというのに、彼女に子供ができる兆しはなかった。  だが彼女が子供を強く求める様なことはなかったので、さほどそれを私も深くは考えていなかった。  もっとも彼女だけではないのだ。生まれてくる子供の数もどんどん減っているらしい。 「君は子供がそんなに欲しかったのかい?」  私はその時読んでいた新聞を閉じ、彼女に訊ねた。彼女は首を横に振った。 「そういう訳ではないけど」  彼女はそれ以上は答えなかった。彼女自身も、そう考える気持ちに上手い理由を付けられなかったのかもしれない。私も強いて訊ねるようなことはしなかった。  だが彼女のその一言で、私が東府行きを決めたのは確かだ。  そして一ヶ月で、運転を少し習った。  車はトクシマから借りた。彼は家庭を持たない。その分を古い車に回している、といった感じの男だったので、二台持っているうちの一台を借り受けることができた。  燃料代がなかなかの負担だったが、我々には既に蓄えておくだけの意味は無い。ここで潔く使ってしまうのも、一つの方法かな、と思わなくはなかった。  道行きの方法が整ったところで、私達は一緒に病院に行き、処置をした。病院には同じ様に処置を頼む夫婦が結構いた。夫婦でない者もいた。  ある若い恋人同士は、どう見てもまだシニア・ハイの生徒だった。できることなら、自分たちがその船に乗って生き残りたいだろうに、と私は小さくため息をついた。  無論私も生き残りはしたい。だがその方法が、この地上にいる限り、どうにも手詰まりなのだ。  互いに目線を合わせることなく、ただじっと、待合いの椅子に座った少年少女は、肩を抱き、抱かれ、その時をじっと待っているかの様に見えた。
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