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あなたが一番行きたい場所はどこですか?
そう聞かれたら、あなたはどう答えますか?
東京ディズニーリゾートやユニバーサルスタジオジャパンのようなテーマパークですか?
富士山の山頂のような場所ですか?
それとも、海外の有名な場所などでしょうか?
どれもこれもきっと素敵な場所で、きっと何かしらの思い入れがある場所なのではないでしょうか?
でも、わたしの一番行きたい場所は違います。
きっと、多くの人がわたしの答えを聞いたら、驚くことでしょう。そんなところなの?ってね。
だけど、わたしにとっては一番行きたい場所。心の底から行きたい場所。
その場所に、わたしは今日、初めて行くことができます。
わたしは朝から、ううん、前日からずっと緊張していました。夜なんてずっと眠れない程、緊張し切る程に。
多分、ほとんどの人が、その場所に行くのにそんなに緊張するなんて、って笑うと思います。
でも、胸の高鳴りが止まらないんです。
その一方で、不安もありました。初めて訪れるその場所を受け入れられるかどうか、怖かったから。
「そろそろ、行こうか」
「……うん」
わたしはお母さんに声を掛けられ、移動を始める。お母さんの手を借りながら、お父さんが運転してくれる車に乗り込む。
「どうした、緊張してるのか?」
お父さんがちょっと上ずった声で聴いてくる。お父さんも心なしか緊張しているように感じる。
「お父さんも緊張してない?」
わたしは少し笑った。
「してないしてない! なんで緊張なんてするんだよ!」
「昨日、一睡もできてないでしょ父さん。リビングがずっと騒がしくてこっちが寝れなかったよ」
三つ年上のお兄ちゃんがくすくす笑った。
「何でそれを言うんだよ!」
お父さんは耳を真っ赤にしながら、恥ずかしさを隠すように声を荒げた。
わたしは笑う。お兄ちゃんが笑う。お母さんも笑う。それにつられてお父さんも笑った。
家族四人を乗せた車はどんどん道を進んでいく。
一時間を過ぎた頃だろうか、車が次第に速度を落とし始めた。渋滞だ。
「この辺りはいつも混むんだよな」
「そうなんだ」
「新しく商業施設ができたんだよ」
「そういえば、お兄ちゃん、そんなこと言ってたね」
「買い物とかは便利なんだけど、この渋滞は困ったものよね」
何気ない家族の会話に、わたしの頬は緩んでしまう。
でも、それを見られたくなくて、恥ずかしくて、頬を引き締める。だけど、気を抜くとすぐに緩んでしまいそうになる。
気が付けば、お兄ちゃんがニヤニヤした顔でわたしを見ていた。
「……何?」
「別に、何でもない」
お兄ちゃんは顔を背け、窓に視線を向けた。でも、反射した窓にはやっぱりニヤニヤしたお兄ちゃんの顔があった。
そこからさらに十分ほど走ると、ついに目的地に到着した。
わたしが一番行きたい場所に到着した。
「これが、わたしの家……」
この家はわたしのために建てられた家だった。
車から車椅子に乗り換え、わたしは家の前に進む。
でも、わたしはこの家に来たことはなかった。生まれてから十数年もの間、わたしはずっと病院から出ることができなかったから。
わたしは、生まれた時から様々な病に体を蝕まれていた。ついた病名は一個や二個ではない。覚えることができない程長い病名もたくさんあった。おかげで、わたしの命は何度となく窮地に立たされた。
生まれた瞬間から、今日に至るまでずっと、どんな悲劇が起きてもおかしくない状況だった。病院の敷地内から出るなんてことは到底できなかった。
でも、わたしは生にしがみついた。病に抗った。
もちろん、心が折れたことは何度もある。こんなに苦しいなら、いっそ自分の手で、なんてことを考えたことも両手両足では全然足りない。
だけど、わたしは戦うことをやめることはなかった。
わたしには家族がいた。家族がわたしを応援し、一緒に戦い続けてくれたから、わたしは病に反抗し続けた。
そして、今、わたしはこうして病院の敷地外にようやく出ることが叶った。
残念ながら完治したわけではない。でも、昔とは比べるまでもない程、体調は良好だった。
わたしは自分の家を見て……泣いた。泣き崩れた。
お父さんとお母さんが、わたしのために立ててくれた家。バリアフリーだし、家の中でどんな有事が起きてもいいように、工夫が何重にも為された家だ。
でも、一度もそれが使われたことはなかった。
その家にわたしはようやく来ることができた。
人生で一番行きたかった場所に、ようやくたどり着くことができた!
気が付けば、みんな泣いていた。
お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、ボロボロと大粒の涙を流していた。
家族の悲願だった。この瞬間をずっと待ち望んでいた。
お父さんが扉のカギを開ける。お母さんが車椅子を押してくれる。スロープを昇り、扉の前で止まった。
すると、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが家の中へと入っていった。わたしは一人、外に置いてけぼりになってしまった。
「え?え?」
わたしは困惑する。そんなわたしをよそに、三人は靴を脱ぎ、家の中に入ってしまった。
少しだけ哀しい気持ちになってしまう。
自然と不安な気持ちが心の中にあふれてきてしまう。顔が伏せってしまう。
ここはわたしの家だ。それはわかっている。だけど、初めて訪れる場所だ。それを自分の家だと言っていいのだろうか?
お父さんとお母さんとお兄ちゃんにとっては我が家だ。だけど、わたしにとってはどうなんだろう……。
わたしは車椅子をぐっとつかんだ。
まるで、仲の良いグループに、一人だけ放り込まれたような疎外感を感じてしまった。
ここは、わたしの家でいいのだろうか?
わたしは不安な表情で顔を上げた。
でも、それは杞憂だった。
「おかえり」
「おかえりなさい」
「おかえり」
三人が、満面の笑みで、でも堪えきれない涙を流しながら、わたしに手を伸ばしていた。
それで確信した。確信できた。
ここはわたしの家だ!
だから自然とその言葉が、零れ出た。
多くの人が当たり前のように使う言葉が。
大勢の人が何気なく使う言葉が。
でも、わたしは使ったことのなかった言葉が。
今までの人生で一度も使ったことのなかった言葉が。
「ただいま!」
わたしは車椅子からはじけ飛び、三人の胸へと飛び込んだ。
~FIN~
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