終わる世界と宝物

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   ぼく以外の人間がいないということは、もちろん、インフラなんてものが機能するはずはなく、よって、目に映るどの建物に入ろうが電気は通っていないし、どこにも電波は飛んでいない。    なので「喪失病」という言葉をぼくが目にしたのは、今よりずっと前、まだぼくのスマホがただの四角い板ではなく文明の利器として活躍していた頃のことだ。    喪失病。    世界をこんな風にしてしまった現象の名前である。それはある種の伝染病なのだと言う人もいれば、宇宙人からの攻撃だと言う人もいた。  正直どっちでもいい。  病だろうが攻撃だろうが、もたらされている結果は同じなのだから。    喪失病になった人間は、文字通り、この世界から失われてしまう。  死ぬのではない。この世に存在していなかったことになってしまうのだ。  親しかった人の記憶の中からも消えてしまう。  ぼくにもかつて親もいれば友達だっていただろうに、全て喪失病に罹って消えてしまった。  今となっては何一つとして覚えていない。  当然だ。  この世に存在していなかった人との思い出なんて持てるはずがないのだから。    それにしても「消すならちゃんと消せよ」と思う。  ぼくがこの世界で誰かを探し回ってしまうのは、ぼくが人との繋がりが持つ温かさを覚えているからだ。    ひとりぼっちは寂しくてやるせない。  だけど誰かと一緒なら、ほっとして気が楽になる。  そんな感覚がぼくの中にはまだあった。  だからこそ、消えていない人がいることに期待してしまう。    誤って消してしまったスケジュール帳の予定が何だったのか思い出せない、というようなむず痒いもどかしさをぼくはずっと感じている。
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