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 15歳になった私は背筋を伸ばし、たおやかにフェンサリル領領主執務室のドアを叩いた。  身長はほとんど前世と変わらない。  かわいらしさと色気を兼ね備えた最強のお年頃。 「どうぞ」  間延びしたパパの声が聞こえる。力強くドアを開けた私はブーゲンビリアの瞳で真っすぐに父親を見つめた。 「パパ。約束通り、私を帝都の寄宿学校に入学させてください」  ◇  ゲオルグが皇帝に即位したと聞いたあの日から、私はパパとママに帝都アースガルズに連れて行ってほしいと何度もお願いしていた。  新皇帝(ゲオルグ)のことを知ろうにも、田舎ではほとんど情報が入ってこない。帝都や大貴族の領地には新聞が貼られるがここにはない。  帝都に行かなければゲオルグに会うきっかけさえ掴めないのだ。 「フリッカ。帝都はここと違って人も多いし治安も良くない。そもそも、帝都に行って何がしたいんだ?」  どんなものでも望めば買ってくれるパパも、このお願いにだけは渋い顔をした。  娘を危険な場所に行かせたくない気持ちは分かるが、私もはいそうですかと引き下がるわけにはいかなかった。 「私、国のことを学びたいの」 「お前は政治に興味があるのかい?」  パパが驚いた顔でこっちを見ている。  私は身振り手振りを交えて、帝都に行かなければいけない“表向きの理由”を語った。 「新しい皇帝が即位して国が変わると聞きました。私、パルチヴァール伯爵が来訪したときから考えていたの。パパとママ、そして領地を守るためには女性も政治を知らないといけないって」  貴族の女性たちは、主に自宅で母親や家庭教師の指導を受ける。  その内容は食事のマナーやあいさつ、舞踏会でのダンスなど淑女のたしなみがメインだ。  ただ、貴族の家柄によっては学ぶ内容も異なる。  騎士家が爵位を得たことで貴族として扱われる騎士男爵家では女性も武芸や乗馬を習うし、帝国の中央組織で働く大公家や公爵家の女性は領地運営や行政に関して学ぶこともある。  フェンサリル家は田舎の小さな子爵家に過ぎない。家庭教師から簡単なマナーやダンス、歌を教わったがそれは勉強とは言えなかった。 「だから、もっと勉強がしたいの。帝都の女子寄宿学校(フィニッシングスクール)に通わせてください」  女子寄宿学校とは、貴族や裕福な家の娘が教養を身に着けるために通う1年間の寮制学校である。  主な教育内容はやはり淑女としてのマナーや作法だが、その他にも狩術、馬術、外国語などを学ぶこともできる。  半分は帝都に行くための方便だが、寄宿学校には国家学や歴史、戦術指南などの科目もあるらしく、勉強したい気持ちも嘘ではない。  が、それを聞いても渋るパパ。 「言い方は悪いが、寄宿学校は家の娘を嫁がせるための“嫁やり学校”と言われているんだよ」  いやいや。  共感はできないけど、娘を爵位の高い家に嫁がせようとするのは貴族からしたら当然じゃないの?   「私は自分の娘をそんなところには通わせたくない。だって、フリッカが結婚してしまうじゃないか」  パパ、本当に貴族としてはダメね。  娘の私としてはそこまで愛してもらって悪い気はしないけど、そんなんじゃいつか悪徳貴族に騙されてしまうわよ。 「……だから、パパがそんなだから私が学びたいっていってるの!」  その後は親子で言い争いが続いた。  最後の最後でパパが諦めたように言った言葉が、今日の申し出につながっている。 「お前の気持ちは分かった。けどね、すぐはダメだ! いくらなんでも幼すぎる!……そうだな、成人になったら考えてあげよう」  貴族女性の成人は15歳だ。   「分かったわ、7年後ね。……絶対にあきらめないんだから!」  ◇  そして今日。私はついに帝都へ向けて出発する。 「フリッカ様! お待たせしました」  帝都に向かう馬車に荷物を積んでいるときに声をかけてきたのは、侍女のグナーだった。深みのある金髪を三つ編みに結わいて後頭部に留めている。  グナーはフェンサリル領に隣接している騎士男爵家の末娘だ。  彼女の家はフェンサリル家よりもさらに貧乏で没落寸前。  我が家には私設騎士団がないのでグナーの家にお金を払い、もしものときのために用心棒をしてもらっている。実質的には資金援助だ。  そこで恩を感じたグナーの父親が「娘をフェンサリル邸の侍女に」と申し出た。  グナーは馬にも乗れるし武芸の心得もある。彼女がついてきてくれれば寄宿学校の生活も安心だ。 「あなたがいてくれたら私も心強いわ。よろしくね、グナー」 「とんでもありません。私こそフリッカ様のために働くことができて光栄ですわ」  グナーは大の馬好きで、以前、彼女が育てている馬の前脚が化膿したときに私が対処したことがある。  彼女の家には馬医がいない。  馬の治療はそれほど詳しくはないけど、バナヘイム軍の馬医――前世のパパの部下だった――が施す治療を見たことがあった。  氷室(ひむろ)から氷を持ってきて前脚を冷やし、抗炎症作用のある薬草をすりつぶして塗布した。  その後はパパが呼び寄せた馬医に引き継いだんだけど、グナーはそのとき以来、私のことを大層好いてくれている。 「実は私、帝都に行くのは初めてなんです。今からワクワクしています」  3歳年上の侍女は手を合わせて喜んでいる。  好奇心旺盛なお姉さんね。  彼女となら楽しくやれそう。 「じゃあ、行きましょうか。――帝都へ」  あの傲岸不遜な皇帝に会いに行くために、私は馬車に乗った。
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