11、 ゲオルグside

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11、 ゲオルグside

 謁見の間から近衛兵を連れ、皇宮の広い廊下を皇帝自ら歩く。  3階建てに相当する天井高の廊下は、尖頭(せんとう)アーチ型の窓から光が差し込み床を照らす。  けれど、その天井にうねる交差(はり)も、廊下の床も壁も、全てが闇をはらんだように黒い。    開放感と禍々(まがまが)しさが交じり合うこの城に、即位から7年経った今でも慣れる気がしなかった。  後ろから「陛下、お待ちください!」と慌てた家令(副大臣)が追いかけてくる。 「わざわざお渡りにならずとも、資料の準備ができましたら行政官が赴きます! 今しばらく謁見の間でお待ちください」 「資料の準備ができるまで待つ時間が無駄だというのだ。俺が行くほうが早い」  苛立ちがそのまま顔に表れていたようで、ひと睨みすると壮年の家令は「ひっ」と息を呑んで後ずさった。  面倒だったので家令はそのままにして再び歩き出す。  能力のない人間が同じ空間にいるだけで気分が悪くなる。  この家令は数日前に公爵家から出仕することが決まった男だったが、後で左遷を言い渡すことに決めた。  ノックもせずに“大納官”の執務室に入る。  街や集落の管理、税徴収など行政全般を担当する部署の長が大納官だ。中で資料をまとめている大納官の部下たちが慌てる様子が滑稽だった。 「陛下! あ、あの、今謁見の間に伺おうと」 「遅い」  役人の言い訳を聞く気はない。  近くにあった椅子に腰掛けて足を組む。  こいつらはたったこれだけの仕事にどれだけの時間を費やしているのだ。 「各領地の収穫量の数値をまとめよと指示した。計算するだけのことがなぜできない」 「恐れながら申しあげます。帝国全土の領地は広大であり、領主によって計量の単位も異なります。それをまとめるのはなかなか時間がかかり……」  舌打ちした。  またこれだ。  馬鹿の戯言を聞く暇はないと言うのに。  座り直したときに丸眼鏡がズレたのでかけ直す。 「そもそも収穫の単位が異なるのであれば真に等しい税をかけることは不可能。なれば計量単位の均一化の提案も合わせて今日中に必ず報告を上げよ。それがお前たちの仕事だ。いいな」  執務室にいる行政官の顔すら見る気が失せた。  用件だけ述べ、乱暴な足取りで部屋を後にする。  この後には大法官から公爵家の処分、軍事府の調達官から新しい帝国軍の武器編成についての報告を受ける。  比喩でなく、眠る時間もない。  だがそれでいい。そのほうが何も考えなくてすむ。  ◇  私室兼蔵書室に戻ると、わずかに緊張が解ける。  第11代皇帝になってからというもの、いつ暗殺されるか分からず体は常に警戒体勢だった。  日を追うごとに頭痛と耳鳴りが酷くなっていた。  そのうち過労で死ぬのではないかと思っているが、別にそれでも構わない。  毎日この部屋に戻ってくると、大量の蔵書の中から一冊の本を取り出す。  『人に供する国』――バナヘイムで出版された国家学の書物だ。  特にページを開くでもなく、その薄汚れた表紙を見てぼんやりとしていた。  このひとときが俺を人間たらしめる。 「陛下」  気配もなく私室に入ってきた近衛兵が俺を呼ぶ。  皇宮には多くの近衛兵がいるが、その中でもわずか5人の近衛特兵(ロイヤル・ガード)は皇帝直属にして独自の任務を担う特殊な軍人だった。  護衛もそのひとつだが、それ以外に偵察や諜報、暗殺などを行うこともある。  そんな5人のうちの一人が、簡潔に報告を述べる。 「フェンサリル家の娘が帝都の学校に入学しました」  内乱前に出会った、フリッカと呼ばれた娘。  なぜか気になって今も近衛兵に動向を探らせていた。 「……帝都に来たのか」 「女子寄宿学校に入学したそうです。審査書類には入学の動機を“政治や戦略を学び、将来夫となる領主を助けられる婦人になりたい”と綴っています」  帝国貴族の娘は己の家柄よりも良い爵位の夫を掴まえることが悲願であり、実家への孝行とされている。  当然、あの娘も結婚するのだろう。  結婚。 『ゲオルグ』  俺のことをそう呼んだあの娘が、結婚するのか。 「相手は誰だ」  不機嫌まっしぐらな声になったのは偶然だ。 「えっ、相手……ですか」  近衛特兵(ロイヤル・ガード)は明らかに困惑していた。  そんなことを聞かれるとは思っていなかったのかもしれない。 「そうだ。念のため聞いている」 「いや、うーん。入学したばかりなのでまだ決まっていないと思います」 「そうか」 「―――陛下、もしかしてあの娘を妃にするおつもりですか」  今度はこちらが黙った。  そんなことを聞かれるとは思っていなかった。  なんと答えればいいのか。 「……いや」  大家令(大臣)からは国政の報告の後、必ずと言っていいほど「嫁を探してください」と催促された。 「国家繁栄のためには世継ぎも必要です。爵位は高い女のほうがよろしいですが、婚姻を結んでいただけるのであればこの際誰でもいいです。ですから嫁。嫁を」  堅物な大家令が顔を真っ赤にして叫んでいるのを見ればわずかに罪悪感を抱くこともあるが、なんと言われようとも妃を(めと)るつもりはなかった。  話は終わったと見た俺は寝室に切り上げようとしたが、近衛特兵(ロイヤル・ガード)が思い出したように声を上げた。 「あ、陛下。テューリンゲン公爵からお誘いがあった催しには参加されるのですか?」 「催し? 何だ……茶会か、鷹狩りか、馬鹿馬鹿しい。そういう誘いは全て断れと家令たちに伝えてある」 「公爵邸での舞踏会です」 「……おい、ヘイムダル。俺がそんなものに参加すると思っているのか?」  公務でさえ時間が足りないというのに、何が嬉しくて醜い踊りを披露しなければならないというのか。  近衛特兵(ロイヤル・ガード)――ヘイムダルは「でも……」と主の気分を害さぬように小さな声で言葉を続けた。 「あのご令嬢が結婚相手を見つけるならば、多分その舞踏会だと思います」  何だと? 「……………………、………………………………。……………説明しろ」
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