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 帝都の中央大広場から続く大通りを歩いていた私は建物の壁に激突した。 「あいたっ!」  額を手でさすりながらその場にしゃがみ込んだ。グナーが駆け寄る。 「お嬢様! これで何回目ですか。最近ぼんやりしすぎですよ」 「ごめんなさい……」  グナーの言う通りだった。  この国の現皇帝であるゲオルグが突然来訪したのが数日前。それからというもの私はずっと上の空だった。 『その日までに心を決めておけよ、フリッカ』  そのときのことを思い出すと全身から湯気が出る。  別れ際なんて、あまりにも顔が近すぎてキッ……キスッスススキス……! 「どひえええええ」  目が回った私を心配そうにグナーが介抱してくれた。  気を取り直す。  私たちが向かったのは、大広場のそばにある図書館だ。  帝国および他国の本を収蔵した広大な知識の収蔵庫、それが帝国図書館だった。  ここに来れば古文書から最先端の学術書までありとあらゆる書物を読むことができる。  ここに来た目的は、私が出版を目指す論文『偽りの創世神話』の内容更新である。 『偽りの創世神話』は前世の私が15年前に書いたもの。  当時は最先端の情報を取り揃えて書いていたが、さすがに15年も経てば学界でも新たな論文が発表されているはず。  最先端の学説を取り入れ比較検証するからこそ私の提唱する論の説得力も増すというもの。  殺されようが転生しようが、論文の質を落とすつもりはない。  今日は丸一日使って帝国図書館の学術書を読み漁ってやるわ!  帝国図書館に入ることができるのは爵位を持つ貴族や一部の商人、司祭のみ。  グナーはエントランスに併設されている控え室で待つことになった。 「お嬢様、()()()のために頑張るのですね。いきいきとしていらっしゃいます」  侍女はうっとりとした笑顔で呟いた。    あの日の晩。  織物商ギルドから学校寮に戻った私はグナーに事情を説明した。  ゲオルグのことは7年前にパルチヴァール伯爵の部下から助けてくれた人だと伝えた上で「ドレスもプレゼントしてもらった」と言うと、侍女は嬉し涙を流したり興奮で顔を真っ赤にしたりと大忙しだった。 「7年前にお嬢様を助けてくださった殿方が皇帝になってお嬢様を迎えに来るなんて! まるで恋愛小説のようですわ!」  それ以来、グナーは私とゲオルグの仲を大層応援してくれるようになった。   「別にゲオルグのためじゃないわよ。論文を出版するためには彼の権力を利用するのが一番手っ取り早いだけで」  名前を声に出せば、あの日のことを思い出してしまう。  私は再び真っ赤になってその場で膝を抱えた。  ◇  帝国図書館の広大な中央ホールを抜けると、3層構造になっている壁面の本棚が遠くまで続いていた。  本を探しながら天井を覆いつくす草花の装飾とそれに囲まれている神話の絵画を鑑賞できる、この建物自体が芸術品のようだ。  私は国家学の書籍がまとまっているエリアまで歩く。  そこの本棚から数冊取り出し、近くの閲覧席に腰を下ろして本を開いた。  面白い。  ああ、やっぱり学問はとても面白い……!  私がいなかった15年の間にも、学者たちは新たな発見を重ねていた。 「この説は根拠が薄くて否定的に受け止められていたのに、新しい遺跡から出土した石碑の記述が細部まで合致している。つまり宗教を国柱とした国家が衰退したのではなく、宗教そのものが変容して国家体系はそのままだったという新説ね。これは私の論文でも触れなくてはならないわ」  鼻息を荒くして次の一冊を開く。 「民族国家の成り立ちに対する新しい異論かしら。えっ、民族は同一だったけど用いる言語の違いから文明が別れていったと。ああ、確かに私もそう思っていた! あの違和感はこの視点を欠いたせいだったのね。だとすると地理的環境によって住む場所が変わったという点については―――」  久しぶりに開いた学術書たちは私を歓迎してくれた。  最新の知識と最新の疑問。  知れば知るほど出てくる新たな課題。  それらを紐解いて国家のかたちを知ることが、今を生きる国々をよりよくする糧となる。  こんなにも興奮できる知的遊戯は他にはないのよね。  早くあの論文もたくさんの人に読んでもらいたいなあ。  異論反論が出たらそれを踏まえて第二段を書きたいわ。  南部国家の遺跡はまだ巡りきれてないからその論拠も追記しなきゃ。  そして、今存在している大陸の国々がどう歩んでいけばいいのか、そこに住む国民は国家をどう捉えればいいのか。  そんなことを考えるきっかけになったらいい。 「わわっ」  気持ちよく思考の海を泳いでいた私の邪魔をしたのは、変な男の声とドサドサと本が崩れ落ちる音だった。  振り向くと、黒いロングコートを着た金髪男が本の山にうずもれていた。  変な奴センサーが働く。  近寄らないでおこう。  そう思って席を立つと、目ざとく男に発見された。 「そこのご令嬢!ちょっと助けてくれませんか」  周りを見ても他に人はいない。  ため息を吐きながら私は男を救出した。 「ありがとう、 助かったよ。 私はヴェーリル・フォン・エルムといいます」  長い金髪を後ろで束ねた彼は貴公子然とした笑みをたたえ、頼んでもいない自己紹介をした。 「エルム……。歴代の皇宮官僚を輩出するエルム公爵家の?」 「はは、驚いてるね。私は三男坊だからほっつき歩いていても問題ないんだ。皇宮に出仕するまでは自由を謳歌する日々だよ」  そんなに偉い人が一人で図書館に来て本に埋もれているとは普通は思わない。  多分この人は変人だ。  とんでもない人を助けてしまった。 「ご令嬢はだいぶ難しい本を読んでいるね」  彼が見つめているのは私が机に置いたままにした国家学の本だ。 「別に難しいというわけでは」 「あれが難しくないっていうの? 最新の論文集だよね。それに帝国語だけじゃなくてバナヘイム語もあるじゃないか」  グイグイくるな。こういう男の人は苦手。 「新しい論文はバナヘイム語じゃないと読めませんから」 「これはこれは。面白いね」  ヴェーリルは私を値踏みするように見つめた後、笑いながら私の手を取った。 「その頭の良さを見込んで頼みがある。私の勉強を見てくれないか?」
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