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 ヴェーリルは公爵家の人間とは思えないほど素直な人だった。  突然「勉強を見てくれ」と言われて驚いたが、話を聞いてみると皇宮仕官試験のための参考書を見つけるのに苦戦しているらしい。 「この問題のところが分からなくてさ」  数枚の紙に走り書きがある。見てみた。 『帝国軍事府の武器調達において、原価抑制の観点から入札の改善点を3つ挙げよ。なお、他国での類似施策を踏まえて比較論も記載すること』  マニアックすぎる。  こんな仕官試験問題があるの? 「先帝までは試験も簡単だったんだが、今上帝になってから難易度が爆上がりしてね。親のコネで簡単に入れるかと思っていたんだがちょっと難しそうで」  さすが独裁皇帝。試験問題にも性格の悪さが出ている。  困り顔のヴェーリルをちらりと見やる。  せっかくだから少し手伝ってやりますか。  面白い問題も見せてもらえたし、公爵に恩を売っておけば後でいいことあるかも。 「軍隊用の装備に関する参考書なら、あっちの本棚にあるはずですよ」 「本当!? 教えてくれると嬉しいな。あ、それとそんなにかしこまらないでくれていいよ」 『武器・軍備』の棚に行く。  15年で増えたものもあるが、国家学よりは多くない。  だいたいが見たことのある本だった。  私は棚の中から『経済国家の事例にみる武器流通の課題』と『君は読んだか!?英雄列伝』を取り、ヴェーリルに手渡した。 「大陸における武器の元締めは経済国家グルヴェイグよ。卸元である武器商の言い値を叩くためには彼らの諸経費を知る必要がある。材料費よりも節約しやすいのは輸送費だから、そこを調べてみて値切り交渉のポイントを見極めればいいわ」  ヴェーリルは「すごい」と呟き、目を輝かせている。 「こっちの本は? 読み物みたいだけど」 「古今東西の戦争で活躍した偉人の物語よ。帝国は騎士の国でしょう? 戦争は集団戦が基本だけど、たまに化け物みたいな能力を持つ人もいるから、そういう個人をあえて突出させることで全体の士気を上げるやり方もあると思うわ。これを見ると偉人を活躍させた背景も分かるの」 「なるほど。帝国で言えば不死鳥と言われるエッシェンバッハ大公のような方だね」 「そうね。どんなに集団戦に秀でていても士気が低かったら勝てるものも勝てないから」  そのほか数冊ほど参考になりそうな書籍を紹介して、私は「それじゃあ」と来た道を引き返そうとした。  グナーも待たせてしまったし今日はこのあたりで帰ろう。 「ちょっと待ってくれ」  ヴェーリルにがしっと腕を掴まれた。 「まだ分からないところがあるの?」  いくら公爵とはいえ、これ以上他人のために時間を割きたくはないんだけど。  が、彼の眩しい笑顔はこちらの表情に宿る陰気さを吹き飛ばすほどの力があった。 「ご令嬢。あなたの能力は素晴らしい」  知ってる。 「女性で、しかも若い。それにも関わらず各国の文献に精通し膨大な知識を蓄えていると見える。我が家の家庭教師が数日頭を悩ませても解決策が見えなかった課題だぞ」 「そうですか。ではさようなら」 「エルム公爵家の専属教師になってくれないだろうか」  予想外の展開だった。  私はため息を吐きながら彼を見上げる。 「あのね、相手の素性や正確な能力も分からない段階でそんなオファーを出さないでよ。名乗る機会がなかったから今言うけど、私は帝都の寄宿学校に通う15歳、子爵家の娘です。そんな人間を公爵家の教師にするっていうの?」 「さきほどの回答内容からして複数の文献を理解・記憶し、さらに比較検証する能力がある。その時点で並みの教師を凌駕(りょうが)しているよ。エルム家では家業を手伝う子爵家の人間も雇っているし、私が許可すれば何も問題はない」  若々しい美貌がキラキラと輝いている。  権力で全てを意のままにしてきたタイプの陽キャだ。  しかも正統派のイケメン。眩しい。 「いきなりそんなこと言われてもパパの許しも必要だし、それに」 「月給は金貨100枚でどうだ」 「えっ!?」  金に目がくらむ。  金貨100枚は大変に魅力的だ。 「もしうちに来てくれるのなら、金だけではなく欲しいものも与えよう。公爵家の権限が及ぶ範囲でなら用意できるよ」  公爵家の権限。  だとしたら……。 「じゃあ、エルム公爵家が有する領地で私の論文を出版してもらうことはできる?」  この申し出はヴェーリルも予想外だったようで、目を瞬かせて数刻黙った。  しばらくして「どんな内容?」と返されたので概要を簡単に説明する。 「神話と国家成立のつながり? ……ご令嬢は15歳でそんな論文を書いているのかい」 「私にとって論文を書くのは息をするのと同じよ。学問を深めてそれをかたちにする。それが学者ってものでしょう」  間違えた。  今の私は学者じゃなくて子爵家令嬢だった。  将来の夢は学者さんです、くらいに言い換えようかと悩んだけど、それは杞憂に終わった。 「いやあ、今日は最高に楽しい日だ!」  ヴェーリルは興奮気味に私の手を握り、顔を近づけた。 「ご令嬢のお名前は?」 「フェンサリル家フリッカ」 「フリッカ嬢。当主である父の目を通すことにはなると思うが、我が領地での出版であればおそらく可能だ」 「えっ……本当に!?」  前世からの夢がまさかこんなところで成就するとは。  あまりにも急な話でにわかには信じられない。 「ああ。もしも内容が素晴らしければグルヴェイグの資本家を通じて他国への出版も検討しよう」 「嘘でしょ……? 確かに私はあなたを助けたけれど、どうして会ったばかりの人間にそこまで言えるの? 論文の中身だってまだ見せていないのに」 「決まっている。君がそれだけの逸材だからだよ」  ヴェーリルはおどけた様子で片目をつぶった。 「帝国貴族は自領地の中では王様だ。良き人材を集め良き領地運営をしてこそ自国が繁栄する。特に我がエルム家は競争意識の激しい公爵家と切磋琢磨しているからね。目を付けた人物はどれほどの報酬を与えても引き抜きたいと思っている」  そういってもう一度笑ったヴェーリルは流れる動作で私の手を取り、手の甲に軽く口づけた。  彼の見事な容姿とも相まって、まるで王子様と錯覚するかのような動きだった。 「良ければ時間があるときに貴族街のエルム家別邸に来てくれないか。歓迎させてもらうよ。今後のことについてじっくり話そう―――では」  コートを翻して去っていくヴェーリルの背を見送りながら、私は呆然と立ち尽くしていた。  短時間でいろいろなことが嵐のように過ぎ去った。  公爵との出会い、論文出版の約束、そして―――手にキス。  私は図書館に赴いた朝と同様、真っ赤になってその場にうずくまることしかできなかった。
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