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 本日最後の授業が終わると、教室に校長先生が入ってきた。 「明日はテューリンゲン公爵邸での舞踏会です。時間になったら寄宿棟側の門に馬車が来ますので、それまでに各自準備を済ませておいてくださいね」  私はげんなりした表情を隠しきれなかった。  明日は舞踏会の日。  悪意の牙を隠した帝国貴族が集まるきらびやかな夜会である。  とはいえ、織物商ギルドで仕立ててもらったドレスを着ることができるのは嬉しい。  前世でもドレスなど着たことがなかったので、それだけはワクワクしている。  それに、またゲオルグに会えるかもしれない。  別に楽しみにしているわけではない。  公務も忙しいだろうし、結局来られない可能性だってある。  決して、楽しみにしているわけではない。  まあでも論文のこともあるし……もう一度話せたらいいなとは思っている。  明日の舞踏会で舞い上がっている生徒たちに頬を緩める校長先生。彼女は最後に実務的な注意を述べて言葉を締めた。 「ドレスは本日中に寄宿棟ホールに持参しておいてください。それではみなさん、明日に備えて早めに休息を取ってくださいね」  ◇  私は教科書を持ったまま、寄宿棟側の門へ向かう。  歩きながら考えるのはゲオルグのことと、先日帝国図書館で出会ったエルム公爵家のヴェーリルのこと。  あれから論文の手直しのために何度か帝国図書館に足を運んだけれど、ヴェーリルと会うことはなかった。  彼が本当に公爵家の人間なのかどうかはまだ確かめたわけじゃない。  帝都にあるエルム家別邸にも行っていない。  授業と論文作業で時間がなかったためだ。  あまりにもうまい話なので警戒する必要はあるけど、おそらく彼の言葉に嘘はない気がしている。  所作が馴染んでいたし、貴族人物集に記載されていたエルム家三男の挿絵が彼の特徴を捉えていた。  あの仕官試験問題も現実味があった。  この疑念を解消するのは簡単。  エルム家別邸に行くだけだ。  そこで条件が合えばエルム家の領地で働き、論文を完成させればいい。  これで、前世からの私の夢が叶う。  わざわざ独裁皇帝の機嫌を損ねる危険を犯してまで、ゲオルグに助力を求める必要はなくなったのだ。 「そう、私にとって大事なのは論文を出版すること。必ずしもゲオルグに頼まなくても、エルム領に行けばいいんだから」  金貨100枚を毎月稼げるならば、パパとママにも仕送りができる。  論文を出版して反響があれば次の本も出版して、学者としての地位を確立していけばいい。  私としても満足行く生活を送ることができそう。  なのに。 「なんでモヤモヤするんだろう……?」  何度も自問自答した。それでも結局答えは分からなかった。  門のところには馬車が停まっている。横に立っているのはヘイムダルだった。 「ドレスを持ってきてくれたのよね? どうもありがとう」 「これはフリッカ様のお召し物ですから当然のことです。あれからお変わりはありませんか」  ヘイムダルは人好きのする笑顔を向けてきた。  社交辞令ではなく、本当に私のことを心配して聞いてくれているのだということが分かる。  こんな優しい青年が偏屈傲慢おじさんに仕えている理由がよく分からない。 「ええ。おかげさまで」 「僕の主が心配していました」 「えっ」  ゲオルグが私のことを? 「なんというか……フリッカ様とお話されたあの日から、少しだけ以前の元気を取り戻したように見えるのです」 「……彼、元気なかったの?」 「主は今の立場になる前、勉強のために他国に留学していた時期がありました。そのときに大切な方を亡くされたようで……それ以降は人が変わられました」  それは。  私が死んだから?  そう思うのは、自意識過剰だろうか。 「最近の主を見ると、僕は少しだけ安心します。だからフリッカ様にも元気でいてほしいんです」 「―――ありがとう、ヘイムダル」  馬車から降りてきた従者2人が私のドレスを寄宿棟まで運んでくれた。  運ばれたドレスを見た私の胸が高鳴る。  こんなに素敵なドレスを着ることができるんだ……。  彼はこれを見たら何と言うだろうか。  特に期待はしていないけど、そのときの彼の表情を予想するのは少し楽しい。 「フリッカ様」  去り際にヘイムダルが真剣な面持ちで告げた。 「本日から明日の舞踏会までは主の傍にいるため、あなたをお守りすることができません。何もないとは思いますがくれぐれも御用心ください」 「分かったわ。気を付けるね」 「帝国の貴族界は表面的には美しくきらびやかですが、潜れば闇が(うごめ)いています。現に今も懐古主義の連中が―――」 「ヘイムダル?」  険しくなったヘイムダルの顔を覗き込むと、彼はハッとして首を振った。 「不安を煽るようなことを言ってはいけませんね。明日はフリッカ様のドレス姿を見られるのを楽しみにしています」  ヘイムダルは馬車に乗って皇宮へと帰っていった。  7年前、ゲオルグが私をパルチヴァール伯爵の従者から守ってくれたとき。  私の名前が“フリッカ”だと知った彼の目には確かに怒りが宿っていた。  あれは突然死んで、その後の彼の人生を縛り付けた私への憎悪だったのかもしれないと思うようになった。  彼は実家を毛嫌いしていた。  合理主義者の彼にとって、婚約者の死は「故郷を捨てバナヘイムで第二の人生を過ごす計画の支障」でしかなかったのだとすれば説明がつく。  先日会ったときには特に怒りは感じなかった。  長い月日が彼の心を癒した可能性もある。  政治に興味がなかったとはいえ、彼の性格や能力を考えれば皇帝というのはまさにゲオルグのための地位だと言ってもいい。元気になったのはその天職ゆえかも。 「どういう顔をして彼と会えばいいんだろうなあ」  感情が定まらないまま、舞踏会の日を迎えようとしていた。
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