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27、 15年前をもう一度
皇帝だけに許された白い詰襟の宮廷服と肩から斜めに掛けられている緋色の帯。
舞踏会用の正装に身を包んだ彼は、先日とは印象も異なる。
格好いい彼の姿が見たいのに、涙でぼやけてはっきりと見えないのが悔しい。
「立てるか」
そういって彼は右手を差し出す。
私は涙をこらえてその手を取った。
「ごめんなさい」
ゲオルグが言葉に窮した。
「……謝られる理由が分からないが」
「私、ずっとあなたに迷惑をかけていたから」
自分でも「何を言っているんだ」と思う。
助かったことを喜ぶ状況でそれはないだろうと思うが、言葉がとまらなかった。
「あなたは何度も危ないって忠告してくれたのに、私はいつも自分の興味と論文ばかりを優先して……。それで、こうやってあなたを心配させて」
15年前も、きっと。
「身勝手な私に対して、あなたが怒っているんじゃないかと思って……。殺されたのも自業自得だし、私のこと嫌いになったんじゃないかって、不安で」
時系列も文脈もグチャグチャだった。
まだ私、フリッカ・コロンナだって言ってないのに。
でも、よく分からなくって。
帝国の中で一番忙しい人が、こんな舞踏会に来るわけないのに、無理して来てくれて。
公務の合間を縫って、こんなに素敵なドレスをプレゼントしてくれたのに、それも汚してしまって。
助けてくれたのは嬉しいけど、でも、すごく悲しいのよ。
ゲオルグが息を吐いたのが分かった。
私は肩を震わせる。
「そこは俺に対して怒るところではないのか。もう少し来るのが遅れていたら君は死んでいた」
「でもこうやって生きているんだから気にしないわ」
「俺が気にする。……そんなことも分からないのか」
滅多に声を荒げないゲオルグの語気が鋭い。
「コロンナ先生が『娘は情緒が未熟だ』と言っていたが、どうやら本当のようだな。ここで君を助けることができなかったら、俺は誰に恨まれればいいんだ? 気にしないなんてそんな残酷な話があるか。俺は誰かに許しを乞うことすら許されないのか」
「……パパが? いや待って、あなた何の話をしているの?」
「君がドレスのことを気にするのと同じように、俺は君に恨まれないと落ち着かない」
「恨むって誰を……」
「それなのに君が俺に対して謝ってくる。こんな馬鹿なことがあるか? まだ罵ってくれたほうが気持ちの整理もつくというのに……!」
怒り出したゲオルグの顔を呆然と見上げる。
徐々に思考がクリアになってきて、ようやく彼の言葉の意味に気付いた。
彼がこの15年間、私の死に対して責任を感じていたということに。
そして「あなたに責任を負わせた」と嘆く私に、怒っているということに。
「あの男たちはおそらく懐古主義の一派だ。伝統に縛られ、純血や神話といった狭い視点からでしか価値を見出せない。どこで把握したのかは分からないが、例の論文の内容を知って君を襲ったのだと思う。俺が奴らの息の根を止めていればこんなことにはならなかった」
今世で論文の話をしたのはヴェーリルだけだ。
そういえば彼の姿が見当たらない。
外套の男と繋がっているのかと思ったが、単純に逃げただけなのかもしれない。
そんなことより。
「……皇帝陛下は私の論文の内容をご存じなんですね」
「君が俺に手渡したんじゃないか。15年前に」
ゲオルグはもう気付いていたんだ。
私の計画が台無しじゃない。
「今日は髪も染めたのか。瞳と同じ色だな」
「あなたって見た目にも無頓着だし、女心がまるで分からない朴念仁だから。こうでもしないと私だって分からないと思ったから染めてあげたのよ」
「分かるさ」
「どうだか」
「7年前に出会ったときはフリッカという名前を聞くだけでも心が乱れた。俺が守ることのできなかった人の名で、他人が生きていることが耐えがたかった」
あのときの彼の目には憎悪が宿っていた。
あれは、“フリッカ”という名の存在を守れなかった彼自身への怒りだったんだ。
「その後は部下に君を見張らせた。7年間ずっと見守っていた。君の言動があまりにも彼女に似ていて、報告が上がるたびに戸惑った。それでも確信には至らなかった」
私は固く手を握って耐えた。
「だが、織物商ギルドで君はこう言ったな。『皇帝の聡明さも集まった税も、全ては国民に供されるものだ』と」
人前で泣くのは好きじゃない。
弱く見えるのは、私のプライドが許さない。
「言葉は誤魔化せない。そんなことを言うのは俺の知っているフリッカだけだ。――分かるさ、俺は君にベタ惚れだったからな」
結局、手に力を込めた意味はほとんどなかった。
私がゲオルグに抱きつくと、彼は私の体を優しく受け止めてくれた。
「助けに来るのが遅いのよ! どうしてあの日、来てくれなかったの!?」
「最初からそう言ってくれ。……そのほうが君らしい」
喚く私に対して、彼はどこか嬉しそうに言葉を返す。
「すまなかった。ずっと後悔していた」
「皇帝なんてやってないで早く迎えに来てくれればよかったのに! 偉くなって気分が良くなっちゃったわけ?」
「それはない。君がいなくなって生きる気力をなくした俺が暇つぶしに参加したのが7年前の内乱だった」
暇つぶし!?
「けれど内乱でさまざまな人と関わるうちに気が変わった。どうせ死ぬなら、君が大切にしていた『国家』とやらをひとつ守ってから死のうと思ってな。周囲から推されたのもあって、なりゆきで皇帝をやっている」
そんな「ついでに」みたいな感じで皇帝になったの?
「話を聞いてると、私のことが大好きみたいに聞こえるじゃない!」
「実際その通りだからな。気持ちは変わっていない」
人の悪そうな笑みを浮かべてこともなげに言う。
こういうところがいやらしいのよ!
それに比べて、こっちは泣いたり照れたり彼の言葉に振り回されてばかり。
私の頬は真っ赤になり顔は茹だっていた。
「約束を守れなくてすまなかった。でも今度では必ず君の傍にいると約束する。もう破るつもりはない」
彼は抱きしめていた私の体を離すと、そのまま片膝をついて私の手を取った。
鋭い眼光は抑えられ、普段は理知的に澄む目も柔らかく開かれている。
庭園に灯されているろうそくの淡い光が彼の黄金色の瞳を鮮やかに魅せていた。
「フリッカ。俺の人生に色彩を与えてくれた唯一の人」
常は傲慢に響くバリトンボイスが少しだけ震えている。
彼も同じなんだ。
私と同様に自信家の彼も、好きな人の気持ちが分からないから不安になるのね。
「許されるのであればもう一度伝えたい。――どうか、俺と結婚してほしい」
彼の唇が手の甲に触れた。
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