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 ふわりと意識が浮き上がる。  真っ暗な世界から光を感じる世界へ。  心地よい昼寝から目覚めるのと似た感覚だった。  あれ―――私、生きてる?  さっきの黒い男は、夢?  なんだ、心配して損した。  それより早く出版社に行かないと。  目を開ければバナヘイムの街並みが――――。  ない。  代わりに映ったのは、茶色い木の天井。  代わりに感じたのは、窓から入ってくる風と、自分の体を包む柔らかい布の感触。  そして、 (あれ、なんだか体の自由が利かないような……?)  小さくなった自分の体と、もちもちもっちりした短い手足。 「バ、バブーーーーーーー!?!?!?」 (な、なんじゃこりゃーーーーー!?!?!?)  私、赤ん坊になってる!?  というわけで私、フリッカ・コロンナ――の意識を持った赤子――はかごの中でおくるみに包まれていた。  バブバブ言いながら思考を巡らせている。  以前の身体感覚とは全然違~う……。  これ、まだ1歳にもなっていないんじゃないかしら。  そもそもバナヘイムにいた自分が、なんで赤ちゃんになっているのかを考える必要があるわ。  意識が浮上する前の記憶を振り返ってみましょう。  天才美女フリッカ・コロンナは大陸の歴史を揺るがすようなヤバい論文を書き上げて、出版社へと急いでいる途中でした。  その途中で剣を持った不審者に出会って、襲われて―――そこからの記憶がない。 「バブ……バーブデショ」 (これどう考えても殺されてるでしょ)  自分が死んだときの鮮明な記憶を持っている私が、今は赤ん坊になっている。  これは創世神話やお伽話に出てくる“生まれ変わり”や“転生”に近い現象に思える。  世界樹を中心に据える創世神話では、人々は死んだ後で樹に還り、生まれ変わって再び世界に舞い戻ると言われている。  まあ、私はそれを否定する説を提唱したんだけど。 「バブールバブバブ、ババブマショ」 (この現象が本当に転生なのかどうかを考えるには手持ちの証拠が少なすぎる。いったん意識を切り替えましょう)  まず、ここはどこなのかが知りたいわ。  近くにヒントはないかな。  高い木の天井と、壁に()められた窓、きっちりと編まれているゆりかご。  体を包み込むおくるみの布は肌触りが良い。  ざっと見ても生活水準の高さが伺える。  木の色合いや窓枠の素材を見るに、大陸南方で用いられる材料が多い。  南方にある国は3つ。  そのうち2つの国では石や岩を基調とした家を建てる。  そしてこの間取り。  ここまで広い空間を子ども部屋に充てるという構造は、貴族のような支配階級の家に多くみられる。  窓から差す陽光。気候は温暖。少しだけ開いた窓から入ってくる風が心地よい。湿度もそれなりにあって、もちもち肌にも良さそう。  住宅環境や気候を踏まえて私の導き出した結論―――ここは大陸南方最大の国家、ミドガルズ帝国の貴族の邸宅ではないかしら。  欲を言えば、もうちょっと確実な手がかりが欲しいところだけど。  今は非力な赤ちゃんなので取れる選択肢が少ない。  どうしようかな。 「バ……バブッ、バブバブ」  体を揺らしてみると、ゆりかごがガタガタと鳴る。  おっ、これは“あり”ね。音や動きを発生させたら反応が返ってくるかも! 「バブバブルッ、ババブ~~~~~」  頑張って揺れていたら、部屋の外からドタドタと誰かが近づいてくる音がした。  慌て気味に入ってきたのは、柔らかい金髪を持つ優しそうな女性。  この人がママかな。 「ガタガタって音が聞こえたけど…… 何かあった!? ロシナンテちゃん」  それが今の私の名前なのかあ。  ちょっと馬っぽいね。 「ママリエンヌ、どうしたんだ? 私たちの愛しい娘に何かあったのかい!?」  再びバーン!と豪快に扉が開けられた。  入ってきたのは弦楽器奏者みたいな髪型をした男性だ。 「ああ……パパリーノ、帰ってきたのね! ロシナンテが突然暴れたから私、不安で……」  パパがパパリーノでママがママリエンヌっていう名前なんだ?  ふうん。ふーん。  個性的な名前ね。  とりあえず名前の件はひとまず置いておこう。  パパとママが話すのは帝国語。  そしてその服装は平民が身に着けるよりもちょっとだけ質の良いゆったりとしたローブ。  パパは襞襟(ひだえり)つきのシャツ。  はっきりしたわ。ここはミドガルズ帝国。  そして今の私は貴族の家の娘、ってわけね。  北方最大の国家バナヘイムに対して、南方最大の国家が帝国。  帝国はゲオルグの故郷でもある。  彼は今頃どうしているんだろう。  私が死んで結婚の予定もなくなったから、帝国に戻ったのだろうか。 『フリッカ』  思い出す声。 『君の論文が本になるときが待ち遠しいな』  そうよ、論文。  あの論文が出されないまま私は死んでしまった。 「ババブバブナーナヨコレハ……!」 (なんてことでしょう…… 人類にとっての損失よ、これは……!) 「娘! 一体どうしたというんだい!?」  私が男とデートもせず部屋にこもって書いた論文。  参考書購入と地層調査にいくらかかったと思ってるの。  隣国の遺跡に侵入したときだって下手すれば殺されてたかもしれないアドベンチャーを繰り広げ、ようやく物証を得られたっていうのに。  それもこれも、あの大作を世に出すため。  あの論文で世界の真実を明らかにした後、私は有名人になる予定だったのに―――。  いいえ、まだ諦めるには早い。  フリッカ・コロンナの記憶を持って生まれたこの赤子。  なんとか一花咲かせてやりましょう。  私はこの人生でもう一度論文を書いてやるのよ。  そして必ずこの大作を世に送り出してあっと言わせてやる。  そのためにはゲオルグにもう一度会いたい。  仮にこの現象が転生に近いものだとしたら、ゲオルグが帝国にいる可能性もある。  論文執筆を支えてくれた彼ならきっと私のことを応援してくれると思うんだけど……。 「バブ―ババブンバブー」 (あ~~、でも私はまだ赤ちゃんなんだった~~)
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