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 あれから数カ月。  私は荒れていた。部屋の中を歩き回っては、腕を振る。 「むきーーっ」 「あ、お嬢様! また部屋の壁を殴ったんですか!? 先日直したばっかりなのに」    数カ月前に突然来訪したパルチヴァール伯爵は、何度も謝罪をして引き上げていった。  ゲオルグも、わずかな呟きを残しただけでパパとも会話することなく、パルチヴァール伯爵とともに去った。  ―――私に気付いてくれないまま。  いや、それについてはゲオルグが悪いわけではない。  今の私は8歳だし、髪も金髪。  帝国の田舎娘がフリッカ・コロンナの生まれ変わりですと言って信じるほうがどうかしている。  そう、少し寂しいけれどそれは仕方がない。分かっている。  けれど、あのときの彼の目。  助けたことを後悔するような、殺意と憎しみをはらんだ目。  助けてくれたのは感謝するけれど、その後の私を見る目が恐ろしかった。  確かにゲオルグは目つきが悪いし敵だとみなした相手を侮蔑する傾向がある。でも、あんな目で睨まれたことは一度もなかった。  まるで視線の凶器だ。  剣を振り下ろされたときも体が恐怖ですくんだが、ゲオルグの視線も十分に怖かった。  ――なんで私が、ゲオルグのことを怖がらないといけないのよ!?  日が経つにつれて膨れ上がってきたのは不満だった。  こっちだっていきなり死んでいきなりバブバブしてて混乱したのよ!  それに、約束を破ったのはそっちじゃない。私にベタ惚れなんだったら直感で気付きなさいよ! 「あーーーっ! もう嫌!」  ポンデムーチョがハラハラと見守る中、シュッシュとパンチを決めてから私は大声で叫んだ。 「お、お嬢様……落ち着きましたか? お茶と菓子の準備ができております」 「あ、そう? ありがとう」  美味しいお菓子が食べられるので私はティータイムが好き。  考えも煮詰まらないし甘いものを食べて気分転換しようっと。  ポンデムーチョに連れられて食堂へ向かう途中、パパとママが母屋の前で早馬の使者と話しているのが見えた。  使者の服にはミドガルズ帝国の紋章が刺繍されている。  ……国からの使者?一体なんの用だろう? 「私、パパとママもお茶に誘いたいわ。ポンデムーチョは先に行ってて」  そういって執事を追い払い、両親の元へ駆け寄った。  使者は淡々と何かを伝えている。パパとママは真剣な表情で聞き入っていた。 「――なお、先帝の喪中ということもあり戴冠式は行われません」  戴冠式は新皇帝即位を意味するもの。  ということは、あの内乱が成功したのね……。 「この勅書読み上げを以て、第11代皇帝ゲオルグ・アインホルン・フォン・ミッドガルド陛下への忠誠を誓う勅令および国号の変更に従ったものとします」  えっ。  今、なんて言った?  ゲオルグ?  ゲオルグが皇帝になったの!?  嘘でしょ!?  彼はただの子爵家の次男だったはずじゃ……? 「分かりました。フェンサリル子爵家は新皇帝のご即位を心から祝福し、また、陛下に忠誠を誓うことを宣言いたします。どうか陛下に申し伝えられますようお願いします」  パパとママが頭を下げる。  皇帝の使者は、大きく頷いた上でもう1枚の紙を広げて読み上げた。 「今回の内乱は帝国の歴史を支えてきた貴族たちの軋轢(あつれき)を生じさせないためにも必要なものであった。しかし一方で、貴族そして騎士たちに大きな荷を負わせたことも事実である。よって新たな税法は、新皇帝の名において他国との戦争および国内での内乱の前後に約2割相当の税免除を約束するものである」 「税の免除……!? 本当ですか」  パパは聞くやいなや、もろ手を挙げて喜んだ。  戦時中および戦前戦後の税免除はバナヘイムで実施されている手法だ。  騎士や私兵団を戦場に派遣しなければいけない貴族の負担はそれなりに重く、税免除は領主たる彼らの心を掴むにはうってつけの方法だと思う。  このやり口はゲオルグっぽいわね。  だって彼、税法オタクだったから。  さっき聞こえた新皇帝の名前はあのゲオルグのことで間違いがなさそう。  苗字は長ったらしくて聞き取れなかったけど、おそらく先帝の養子になったという体裁でしょうね。  内乱や武力革命の際には貢献者が権力者に据えられることは珍しくないけれど……。  それにしても、彼が皇帝だなんて。  信じられない。  留学時には「爵位に興味などない」と言っていた彼が内乱に加わっていたことも疑問だったけど、まさか皇帝になるなんて予想すらしていなかった。  一体ゲオルグは何を考えているんだろう。 「ん、ちょっと待って」  馬車の後ろに隠れていた私は思わず呟いた。 「皇帝って帝国で一番偉い人なわけじゃない? じゃあ彼が一言命令してくれたら……論文出版も可能になるってこと!?」  そうよ、中央集権国家のトップだもの。  一声発すればそれが絶対的な命令になる。  こいつはまいった。  元婚約者が皇帝になるなんてレアすぎる状況、うまく利用しなくてどうするの。 「さっきの税の免除みたいにさくっと法令を作ってもらって、さくっと出版させてもらいましょう!」  ただ、仮にもう一度ゲオルグに会えたとしても、私だと気付いてもらわなければまたあの怖い目で睨まれてしまう。  そのためには前世の私に()()()ことが大事。  まずは髪の色を染める必要があるわ。  おそらく帝都にいけば染料も手に入るはず。  あとは、私自身があの論文の著者だと証明できればきっとゲオルグも信じてくれる。  ゲオルグには前世の大学で会ったときに『偽りの創世神話』の草稿を渡しているから、内容は把握していると思う。  あの論文内容は私と出版社の人、そしてゲオルグしか知らない。  前世のパパには出版された後に驚かせようと思っていたから敢えて秘密にしていた。  それに、あの論文では神話で語られていた転生や生まれ変わりとは異なるアプローチによって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。  その現象についてはまだ仮説ベースに過ぎないのだけれど、ゲオルグの前で論文内容をそらんじれば彼には伝わるはず。  私が作者であるフリッカ・コロンナであることと、死んだはずの私が別の人間としてここにいること、両方の証明になるはずなのだ。  前世の私、ナイスすぎる。  その所業が天才的すぎて震えるしかないわ。  当面の目標がここに決まった。 「私が目指すのは皇帝の住む都、すなわち帝国の首都アースガルズよ!」
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